目指すオヤジの1人

2、3年ぐらい前かな?
チェロの門脇さんが入団してくれた直後にソッリマの「チェロよ歌え!」を演奏した時、ゲストのオーボエに元都響の本間さんが来てくれた。もちろんソッリマにはオーボエはないけれど、リハーサルやゲネプロを聴いていてくれたらしい。
「なぁ、ソッリマのあの曲、初めて聴いたけどさ、めっちゃ良いじゃん。相当気に入ったよ。良いもの聴かせてくれたお礼に」と言って、古い陶器のおちょこを頂いた。

そんな本間さんと矢部君と栗盛さんと今日のお昼に鰻を食べた。
いろんな話に花が咲き、本当に楽しい時間を過ごした。


僕が東京で蕎麦を食べると言ったら千歳船橋近くの環八から少し外側に入った仙味洞というお店しか行かない。
決して僕は蕎麦通でもなんでもない。
ただその店が好きなだけ。
僕が都響に入団した頃、僕は千歳烏山に住んでいて本間さんは芦花公園に住んでいた。
たまに一緒に京王線で帰る事もあり、その時に
「ひろやすさ、仙味洞って蕎麦屋知ってる?千歳烏山に住んでいるんだったら行かなきゃだめだよ。俺はいつも鴨南うどんとその前にせいろを頼むんだ。絶対行けよ」
と言われて以来ずっと僕は蕎麦と言うとそこに食べに行っている。


都響に辞表を出して最後の公演のリハーサルの何日目かに
「いなくなる前に一回飲もうぜ」と誘ってくれて千歳烏山のお店で飲んだ事がある。
その当時はまだいろんな制度に問題を抱えていた時代でもあったし、その事で本間さんは
「ひろやすが辞める事でさ、何かが変わる事もあるんだ。と言うか、誰かが犠牲にならないと組織は変わらないんだよなぁ。ひろやすの前の苅田が種を撒いて辞めて、そしてひろやすが水をやって辞めて、それを収穫して米を食う奴が誰か入るんだろうけど、お前はどこかで米をちゃんと食えよ」
と言ってもらった事が忘れられなくて、鰻を食べながらその話をしたら
「覚えてないなぁ。それは失礼しました」と笑っていた。


千歳烏山に「黒猫商会」という古着の店があって、そこで超特価のギャルソンの春コートを買った事があって、それを着ていったら「お前さ、それ黒猫商会で買っただろ?買おうと思ったけど、ギャルソンのその裾がちょっと気に入らなかったんだよな」と。
その当時、本間さんは40代後半、つまり今の僕と同じ年齢。


かっこいいオヤジだった。
なんかあると真似したりしてた。
これは本間さんをちょっと真似したんですよ、言うと
「俺さ、それはもう飽き飽きしてんだよな」と。
なんか魅力あった。
ああいう自分独自の空間を纏った人に本当に憧れ、今でも憧れている。


どんな仕事でも苦労や悩みはあって当然だし、僕も苦労はして来たとは言え、本当に目指すかっこいい大人が側にいてくれた。そして音楽以外の事からいろんな事を教えてくれる大人がいた。
とてもそんな大人にはなれっこないけど、独自の空間を纏う人間にはなりたいと思う。

そんな本間さんと久々にご飯を食べて、ずっと笑って最高な鰻になった事は、50代になったら、60代になったらという自分の指標になる重要な時間だった。
ありがと、本間さん。
そして矢部君、栗盛さん。