お帰りなさい

ただひたすら自分の練習をする時間が欲しくて都響を僅か4年で退職したけれど、都響が嫌だった訳でも、オーケストラが嫌だった訳でもない。
そしてある意味気ままに練習し、電話を頂けばどこのオーケストラにでも出掛けていた時代で、当時はかなり僕は僕なりの生活のルーティンに満足していたと記憶している。
あちこちを風来坊の様に旅をして全国のオーケストラにゲストとしてお世話になっていた頃に、熱心に神奈川フィルに来てくれませんか?と誘って下さった方がお二方いる。

当時の事務局長と事務局次長のお二方。
今はもう無くなってしまったけど、僕の家の近所のロイヤルホストまで来て下さり、熱心に誘って下さった。
とても嬉しかったし有り難かった。
まだその当時、多くのオーケストラでは首席チェロが空席で、探しているオーケストラも沢山あった。
そして「都響で首席チェロ奏者をしていた」という事で、僕の実力はともかく声をかけてくださったオーケストラも他にいくつもあった。

その中で兎に角あなたが必要だと熱心に言って下さったのがそのお二方だった。
僕が希望した事はただ1つ。
「お金よりも時間を下さい」
だった。
「お易い御用です」
ともそのお二方は言って僕は神奈川フィルにお世話になる事を決めた。


10年程前だろうか、僕を誘ってくれて、そしてずっと励まし、叱咤してきたそのお二方が突然辞めてしまった。
僕は本当にショックを受けた。
もちろん辞めないで下さいと電話もしたけれど「裕康さん、僕ね、、、、」と理由を語ってくれた。
僕まで熱くなって「でも、僕は諦めませんからね、、、、」と電話を切った記憶がある。結局何も出来なかったけどね。


そしてその事務局次長だったTさんが神奈川フィルの現場に戻って来た。
今年の2月から。
まだ立ち話程度でゆっくりこの10年を埋め合わせる話はできていないけど、
いろんな経験をされて、再び縁があり復帰を決められたそうだ。


今の神奈川フィルにとって山本裕康という人間がどれほどの価値があるのか、どれほどの必要な人間なのか等々全く自分ではわからない。
でもロイヤルホストで彼らと
「お金がないけど、時間は差し上げられる、という我々と、お金はいらないから時間を下さい、という山本さんと完全に利害が一致しましたね、ではよろしくお願いいたします」と笑いながら握手をしたあの日から少なくとも16年が経過して、少なくとも「やっぱり裕康と契約した僕たちに間違いなかった」とTさんが思える様なプレイヤーにはなっておきたかったな。

突然復帰するから、もう。

でも、そろそろ恩返しをしたいなと思う方が目の前に戻って来た事はとても嬉しいし、幸せな事だと思う。