晴れた海のオーケストラ

第二回目となるモーツァルトばかりでプログラミングされた「トリトン・晴れた海のオーケストラ」の公演が終了した。多くのお客様に脚を運んで頂き、この場を借りて感謝したいと思う。
ありがとうございました。


リハーサルの開始からの事を少し話すと、このオケの事が少しわかって頂けると思う。
最初にジュピターの1楽章を通した時から、ズレるとか何かう具合がある箇所は皆無だった。
だからこそ、そこからが大変なんだという気持ちがメンバーのほとんどが感じていたと思う。
それから何をするか。
当然コンサートマスターの矢部くんがリーダーシップをとり「こうしてみたらどうだろう」という事からリハーサルが進行していく。その提案に対して、ただただそれに従って行くだけのリハーサルだったら2時間もあれば終わる。
そこでこのオケのメンバーの凄い所は弦楽器だけの方向性が決まるとそこに一番合う音色であったり、タイミングであったり和声感だったりを管楽器や打楽器の方々が瞬時にして彼らのパレットの中から新たなものを提案して音にする事だ。それを体感した弦楽器の奏者達が各々のパレットからその管楽器や打楽器から生まれた響きに対して音の質を決める事も素晴らしい。
1つの提案に対してただそれだけが行われるのではなく、乾燥ワカメが水分を得るととんでもなく大きくなる様にアイディアが膨張して試行されていく所が凄い。

例えばジュピターの1楽章で矢部君が「ここでファーストバイオリンとファゴットがラのフラットを弾くから聴いて欲しい」と言うとみんなが音量を下げるのではなく、どうしたらそこのラのフラットの音が特徴的な音として浮き上がるか、その前からの音楽の持って行き方、そのラのフラットが鳴っている時の音色から音のスピード感、などが一瞬にして作られ試される。何度かそこをやるとほとんどの人が納得する形にまで作られてしまう。
このオケのメンバーの頭の中には完全にジュピターのスコアが入っていないと出来ない。
何故なら、自分の弾いている音が、和音のどの位置にあるかを知っていないとそれは出来ないからだ。


個人的な事を書きたいと思う。
第1回目の演奏会、及びトリトンでのコンサートではなかったけれど9月にベートーヴェンのピアノ協奏曲の全曲演奏会をこのオケで演奏した時のコントラバスは池松くんだった。
今回は吉田秀さん。
彼は二人とも素晴らしいコントラバス弾きであると言う事は僕が言うまでもなく、素晴らしい低音を作れる日本でもトップクラスの演奏家だ。
そして同じ低音を弾く僕にとってもいつも刺激になるし心の栄養を与えてくれる2人だ。
実を言うと、池松くんが弾く時と吉田秀さんが弾く時では僕は弾き方を完全に変えている。というより変えなきゃいけない。発音のさせ方も変えるし、音程感も変える。
具体的にどう変えるかは書かないし、それがどれだけお客様の耳に違って聴こえるかも定かではない。
でもそれがオーケストラ、特に室内オーケストラでは絶対にやらなければいけない事なんだと信じてる。

実はその二人の違いを矢部君も当然捉えていて、前回とはいろんな事を変えている事が凄く良くわかる。
その変え方が自分と全く一致していれば何も言う事はないし、多少違う事があればそれはそれで話し合う。

音楽は国境のない言語である、とどなたかがおっしゃったけれど、本当にモーツアルトの言語を目指し、そしてその言語の話し方をお互いのパレットから知恵を出し合い何も話さなくてもそのシェイプが出来上がって行く、僕にとっては理想的な事。

そして、本番では「みなさん、現地で会いましょう」と言ってステージに上がる。
現地と言うのは曲の最後の音だ。


このトリトンの演奏会、トリトンのスタッフの方々の本当にきめ細かい音楽と演奏家に最大の愛情を注いで下さる姿になんとかして応えたいとみんなが思っている。
演奏会は、スタッフ、演奏家、そしてお客様の3つが信頼し合うかどうかで結果が決まって行く。
全てのお客様が満足する演奏会などある訳はないけれど、スタッフと演奏家がこれだけ信頼し合えている現場なのだから、あとはお客様からの信用を増やしていく努力を続ける事かなと思う。


こんな演奏会に参加出来て、なんて幸せなんだろうと思う。