1995年

1995年は僕は何をしていたのだろう。
都響を辞し、フラフラしていたのは間違いない。
その年にJTホールの向山佳絵子とその仲間達、という12人のチェロアンサンブルの公演が始まった。
18年も前になる。
毎年1回、必ずこのコンサートがあり、信頼する仲間との共演は七夕の織姫と彦星の出会いに似た喜びであり、その上その仲間達の成長ぶりに刺激を受け、気持ちを引き締めて来た。
そして各々の近況報告会でもあり、何日かの爆笑同窓会でもあった。


そのコンサートが昨夜で終了した。
昨今の不況は未だ先が見えず、アベノミクスという言葉だけが先行している今、致し方ないとも思う。


バブル景気の後期の頃、大学を卒業した我々12人はしばらくはそのバブルに助けられ、バブルの名残にも随分お世話にもなった。
大学2年生の頃サントリーホールができ、カザルスホールが出来、多くのホールが出来た。そしてそこで我々は鍛えられ、育ててもらった。


しかし、自主事業のコンサートをするホールも減って来て、ついにはJTホールにまでそれが及んだという事なんだろう。
この12人、誰とは言わないけど、喫煙率が高い。その喫煙者達で「このホールを支えて来たのは僕らだよな」と放言していた。
バックステージでタバコが吸える全国でも唯一のホールでもあった。


自分一人でどれだけ努力してもなかなか前に進めないものだ。
だけど、これだけの仲間の演奏や発言を聞くと、確かに少しずつ利口になっていく。僕には宝の時間でもあった。
本当にあらゆる曲を演奏してきたし、それらを共有してきた。
「財産」という簡単な言葉で片付けられない物を得た。


正直寂しいが、これでこのメンバーとチェロアンサンブルが出来なくなったとは思っていない。多分また何処かで演奏出来ると信じている。


20代、30代で始ったこのアンサンブルは今や30代が1人で40代、50代のアンサンブルになった。
この12人のチェロアンサンブルだけではなく、様々な形で僕はこのJTホールの室内楽シリーズに出演させて頂き、育てて頂いた。
ここで読んで下さっている方々に「タバコを吸いましょう」とは言わないけど、
少なくともJTという企業が音楽、文化に多大な支援をして来た事はここで言いたいし、心から感謝したい。


育てて頂いたJTさんへの恩返しは、さらなる努力をして、演奏によって社会に対して貢献していく事だけだ。

アンコールの最後の曲、つまりこのシリーズの最後の曲の佳絵子がソロを弾いた鳥の歌は本当に心にしみたし、感動した。胸が締め付けられた。
それを佳絵子に言えば「狭心症かもよ、検査したら?」と返って来る事がわかっていたから、帰宅して真夜中にこっそりメールした。

佳絵子始め10人のチェリスト達、そしてJT、制作の1002のスタッフ全てに心から感謝したい。


ありがとう。


また一緒に弾きましょ。