僕は普通科の高校でした

今日、あまりにも突然、高校時代の学年主任だった先生からお電話を頂いた。
最初はあまりにびっくりして言葉に詰まり、まともな対応すら出来ず、大変失礼な事をした。

先生のご家族がチェロを始めたいと思われたそうで、そのチェロについてネットで調べているうちに僕のこのブログに行き着いたとおっしゃっていた。

15分ほどだっただろうか話をさせて頂いて電話を切った。
すごく感動した。ものすごく胸が熱くなり、どうしようもなかった。
ホントに泣けたぜ。
言葉として「感動した」などという言い方は実に軽々しいとも思うけど、
様々な想いが去来して、僕はしばらく茫然自失としていた。

このブログに書く事と言えばほぼ100%近く音楽の事で、先生と言えば自分のチェロや室内楽の師匠の事しか書いていない。
だけど、普通科の高校に通っていた僕にはその「音楽家前夜」に沢山の普通科の様々な科目の先生にお世話になっていた事を忘れていた事がなんとも恥ずかしかった。そして申し訳なく思った。

確かに高校時代の友人にごくたまに会ったりすると先生の想い出話は出る。
そこで止まってしまっていた事に何とも自分が情けなく、薄情だと思った。

山本裕康という人物はまずは両親、そして幼稚園から大学までの先生方、そして友人や同僚によって作られてきた。もちろん自分で考えたり、勉強した事も多少は影響もあるだろうけど微々たるもので、ほぼ周りの方々に作られて来たと思っている。

その音楽大学以前の先生方を忘れてしまっているとは。

そのI先生と話したのは高校を卒業して以来だと思う。
29年ぶり。
I先生は「今、いくつになる?」
とおっしゃった。
「昨日、47歳になりました」
「そうかぁ。あの頃の教え子達はもう50近くになるのかぁ。あの頃は生徒達の反発も真剣だった。そして我々教師も心から叱った。良い時代だったと思う」
と仰られた。
体罰の善し悪しなど僕が軽々しく語れる事では全くないけど、I先生は厳しかった。怖かった。
いつも細い竹の棒みたいな物を持って廊下をいい姿勢で歩かれていた。
その当時の口調、はっきりとした物言い、全く変わらないI先生の声を聞きながら僕は本当に涙ぐんだ。

僕の様にちょっと難し目の本を読み、その一節を出し、何も知らないませたガキだったのに、生意気にも先生に反発していたのにもかかわらず、そんな事全て承知の上で先生も真剣に心から怒って下さった。
そんな信頼関係をほったらかしにして音楽音楽と走ってきた自分を恥じた。


こんな全く個人的なブログだけど、この場でI先生を始めとする僕に多くの事を教えてくださり、とことん怒鳴ってくれた先生方に感謝をしたい。

そしてI先生の電話によってその自分の情けなさを見つける事が出来た。
やはり先生はいつになっても、教えてくれる。

I先生が書いた自伝的な本を出版されて馬鹿売れしたという「愛馬物語」という本を早速注文して拝読させて頂こうと思う。
ドラマにまでなった作品だとは失礼ながら存じ上げなかった。

I先生、電話での短い時間ではありましたが、また多くの事を教えて下さり、有り難うございました。