忘れられない先生

千歳烏山に住んでいる時に駅前で鍼・マッサージを開業されていた先生の所に1ヶ月に2、3回通っていました。
その先生は烏山の街でバッタリ会って「先生、何処行くんですか?」と聞くと「ああ、山本さん、今から中華料理を食べに行こうと思っているんです」なんて普通に会話しておりました。
先生は歩かれる時に白い杖をついていましたし、目が不自由である事はもちろん知っておりました。だけど、弱視で少しは視力はあると思っていたんです。
だって、街で会って話しかけると必ず「ああ、山本さん、、、」とおっしゃってましたから。
でもある時施術を受けている最中に先生から「実は僕、全く見えないんですよ」と聞かされた。信じられなくて、街で会った時の話なんかをしたら「はい、声を聞けばどなたかは全てわかります」と。
そして4歳までは見えていたけど、それから一切見えなくなった事を聞かされた。


そんな先生はとにかく音楽が好きで、ギター、ドラム、ボーカル、そしてもちろん作詞作曲まですべてする事を知った。
ある時先生が趣味で練習スタジオで多重録音したテープを頂いた。彼の作詞作曲、ギター、ベース、ドラム、ボーカル全てを一人で演奏した力作。10曲ぐらいあった。

僕は最初の曲で号泣した。号泣は大袈裟ではなく、本当に止めどもなく涙があふれた。素晴らしい曲に素晴らしい詩だった。
僕が何らかのプロデューサーと知り合いだったり、または僕がそういう仕事をしていたらなんとかCDを作る事に全力をあげたと思う。


そんな先生は音には全て色があると言っていた。
僕のリサイタルに招待させて頂いた事がある。
その後に語った先生の感想は忘れる事が出来ない。

「山本さん、最初の曲はgマイナーでしたね。深い深い青からE♭メジャーに転調したときのあの暖色の感じは素晴らしい展開でした。なのに山本さんのチェロの音は深い深い青の下にある地面の色でした。最初の10秒で僕は昔見えていた空と大地が見え、涙がでました・・・・」

そんな感じで3曲全て語ってくれました。

数年前に千歳烏山に行った時、その治療院は無くなっていた。
寂しかった。
何処に引っ越したのかもわからない。

先生の言葉が今でも蘇る。

「山本さん、僕が全く見えない事を知って『1万円でおつり下さい』という女性が結構いらっしゃるんですよ。触れば5000円とすぐにわかるんですけど。ひょっとして5000円でしょうか?と聞くと『ごめん、それ5000円だった』なんて平気で言うんです。それに電話で例えば『山本』という名前で予約をしてなんの連絡もなくキャンセルして、平然と次の日『田中と言います』と同じ人が予約してくる。声を聞けば全てわかるんですけどね」

先生は全て自分の身を自分で守っていた。守らないと生きていけなかったからだ。
僕は去年の3・11の大震災、そしてまだ全く収束しない原発事故を経験して要約、自分の事は自分でしか守れないんだと知った。あの僕の20代の頃、あんな素晴らしい教師がいながら何も学べなかった事は僕の人間の浅さに起因している。

先生に会いたい。どこにいるんだろう。