稲葉旅館物語 1

当時、桐朋学園大学の入学試験は10日間ほどあった。
最初の2日は伴奏合わせ。そして実技の入試。2日ほどフリーの日があり、副科のピアノ、音楽理論ソルフェージュ、小論文、そして面接、と毎日1科目という贅沢な日程であった。


東京の状況など何も知らず、のんびりと一ヶ月程前に宿泊ホテルを予約しようと電話してみたらもう何処もなかった。入試で1番混む時期に10日間など空いている筈もなく、困り果てていた。どうしてその本があったか覚えていないけど「東京」というガイドブックがあり、そこにに載っていた旅館も片っ端から電話していたらその「稲葉旅館」(もしくは稲葉屋旅館だったかもしれない)が偶然にも空いていた。
宿泊先がようやく決まり、その作業だけでかなり満足し、妙にもう大丈夫と思ったのを覚えている。


その稲葉旅館は新宿にあった。新宿3丁目に近いところだったと記憶している。
桐朋学園大学のある仙川に行くには京王線に乗らなければいけない。
その京王線の新宿まで歩いて10分ちょっとあっただろうか。
僕の部屋は2階の角でもちろん畳の下部屋で、6畳もなかったと思うけど、小さなストーブが置いてあり、小さなテーブルが置かれていて、楽器を弾く事を考えなければ非常に過ごしやすかった。なにせ朝食と夕食がついていたのだけど、それが豪華で毎回食べ切れなかった。



僕は10日間も滞在していたけど、普通の大学入試の人達は2日もいれば地元に帰っていった。食事で一緒になる人とおしゃべりもしたけど、北海道、秋田、熊本、鹿児島等々本当にいろいろな所からの受験生と話した。その中で同じ名古屋から来てた受験生がいて、妙に連帯感を持って励まし合ったのを覚えている。


僕は熟読していた雑誌がある。週刊文春だった。「疑惑の銃弾」という三浦和義氏を糾弾する記事の連載が始っていて、こんな大事な時期だというのに僕は何故か夢中になっていたのである。(続)