3月に入ると

一昨日セントラル愛知さんで初めてチャイコフスキーピアノ協奏曲第2番を弾かせて頂いた。
25年以上にもなるオーケストラ生活で初めてだ。演奏した事がない曲はまだまだあるんだろうし、それどころか聴いた事もない曲だって相当な量あるんだろうな。
昨日は神奈川フィルの定期演奏会に出掛けた。
その聴いた事もない曲を聴いた。ウォルトン交響曲第1番。
どんな曲なのか想像すら出来ずに聴いたけど、感動した。演奏も素晴らしかった。
指揮者の尾高さんの益々無駄をなくした指揮ぶりからの大きな響きは心に響いた。
そして「311まで後5日、亡くなられた方、まだ行方不明の方へ」とスピーチされた後のアンコール、エニグマ変奏曲からニムロットを聴きながら涙がこぼれた。


そう、あの日から5年が経つ。
最初の地震が来た時は、翌日の定期演奏会のリハーサルが終わり、オーボエ鈴木純子と練習場の廊下で立ち話をしていた時だった。
「外に出た方が良いよな」
「これはダメだよね」
そんな会話をして外に出た。
次の日の公演はマーラー交響曲第6番「悲劇的」だった。
何人のお客様が来て下さったのか、人数を確認した訳ではないけれど、ガランとしたホールであの「悲劇的」を泣きながら演奏した記憶はまだ鮮明に覚えている。その涙の理由がいまだに僕自身わからない。


今年の311は、京都の新京極の誓願寺というお寺でバッハの1番と5番、そしてソッリマのラメンタチオを弾かせて頂く。
そしてその翌日は京都市交響楽団定期演奏会の本番であのマーラー交響曲第6番「悲劇的」を演奏する。
僕はあれ以来の「悲劇的」となる。
それも5年前と同じ、311の次の日に。


メディアは自分たちの考えたお涙頂戴のストーリーにあったご遺族を必死に探していると言う。
どうしてこんな国になってしまった?
あの悲劇を忘れない事は大事な事だ。そして後世に伝えて行く事もそれと同じく大事な事だと思う。
多くの常識を根底から覆されて気付くべき事ってそういう事じゃないだろう?


「311」と「悲劇的」という言葉をを並べようとしてる訳ではなく、僕の中では震災とマーラーの6番はセットになっているに過ぎない。
セントラル愛知で一昨日演奏したチャイコフスキーピアノ協奏曲第2番の後半のプログラムはチャイコフスキー交響曲第6番の「悲愴」だった。
「悲愴」に「悲劇的」。そして6番と6番。
たまたまこれらの曲を弾く事になった事は偶然だけど、今年の311も僕なりに祈り、演奏し、そして5年前もそうであった様に再びマーラーの6番で必死に立ち上がりたいと思う。