マーラーの9番

大学1年、入学間もない第九すら聴いた事がない純真無知な僕に
「お前、マーラーの9番って知ってる?」
と言ってきた男がいる。
ニュージーランド在住のコントラバス弾きの池松という男だ。
当然知るはずもなく
「知らないけど、なんで?」
「知らないの?(もの凄い見下した目で)CD貸すから聴けよ」
受けましたよ、凄い衝撃を。ホント毎日聴き、CDが擦り切れるまで聴きましたよ。挙げ句の果てにバーンスタインイスラエルフィルのこの曲を聴きに名古屋まで行きました。と言っても仕送りを密かに貯めて行ったんですけどね。仕送りですから、別に密かじゃなくてもいいんですが。


4楽章、これは人生最後に聴きたい曲候補の3曲に入りそうだ。
現世への強い未練が薄らいで最後は死を受け入れ、それでも尚後ろ髪を引かれながら天に召されていく様が壮大に描かれている気がします。
この楽章を聴くたびに、死とはこういうものなのかと思ったり、そうであって欲しいと願ったり、車の中で聴いているだけなのに無性に涙が出たりといつまでたっても曲を自分の中で消化する事が出来ないでいる。
人生最後に聴きたいというより、人生の最後に頭の中で自然に鳴っていて欲しい曲かな。


3月11日の震災の翌日にマーラーの6番「悲劇的」を演奏した。
あれから80日近くの日が流れた。
多くの方が亡くなり、まだ多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
そしてまだ復興のめども立たない。
僕自身もいくつものチャリティーコンサートに参加させてもらったけど、とにかく何かしなきゃいけないとか、そういったコンサートに参加する事で浮き足立った自分の気持ちを落ち着かせようとしていたのかも知れないと今になって思う。そういうコンサートに参加出来た事は本当に良かったと思っているけど、正直ようやく僕はこのマーラーの9番を弾いて多くの亡くなった方に祈りを捧げたいと心から思えるまでになれたのかもしれない。
震災に直接的に遭われた方々の多くが復興に向けて歩き出しているのに、ただ大きく揺れただけで、原発の心配をしているだけの僕は彼ら以上の事をしないと。


当たり前だけど、28日の演奏会では、今持てるすべてをこの9番に注ぎたい。
そして祈りたい。