雪の京都から帰京

京都市交響楽団定期演奏会のお手伝いに行って参りました。

なんと、前回僕がこの「京響」にお邪魔したのは6年前だそうです。
そんな僕を「京響」の方々にはいつも本当に親切にしてくれますし、またずっと昔からの普通の友人として接してくれる事がなにより嬉しく、僕はホントに幸せな男だと思いました。


演奏会ではショスターコービッチのバレエ組曲第1番、ブルッフスコットランド幻想曲、そして難解なヒンデミットの「画家マティス」の3曲。指揮は京響の常任指揮者の広上さん。

バイオリンのソリストのシン・ヒョンスさんの素晴らしさに度肝を抜かれ、メンバーが少し若くなった京響の音の厚さや表現の強さやアンサンブルの精度の高さに、お手伝いに行ったはずの僕がすっかり刺激を頂き、頑張ろって心のなかで小さく誓った4日間でした。
ショスターコービッチもヒンデミットも恐ろしいほどの困難に立ち向かいながらこれだけの曲を残してこの世を去りました。そんな彼らとはまた比較にならないほどの困難を背負った被災された方々に対して、僕ははっきり言って直接的には何も出来る事などないかもしれない。でも忘れないと言う事は出来る。そして、放射能の事も僕は怖いなんて思う事なく立ち向かいたいと思う。

京都のホテルで本番の前日の夜だと言うのに「朝まで生テレビ」を見た。
相変わらず片山さつき議員などは自民党が何をしたかの自慢ばかりしていたし、ちょっと話が逸れるといつの間にか災害の話から政局の話に変化してる。ホリエモンさんや勝間和代さんの理知的なそしてあまりに普通の思考にホッとした。
政治家ではこんな酷い国難ですら何も変える事は出来ないと確信したし、もはや個人個人で思考しなくてはいけない時代になったんだなと思った。
すぐに法律が邪魔してと言うけど、お前ら立法府の人間だろが。

今日のコンサートの最後にバッハの「アリア」をアンコールとして、また祈りとして演奏しましたが、あの政治家達の「政治生命をかける」という安っぽく嘘っぽい言葉より、この「アリア」のたった一小節の雄弁さや心に響くメッセージには驚愕すら覚える。あの全く響かない菅首相の言葉を聞くと、音楽や絵画などから何かが響いた事がない人なんだなと思う。

今日も義援金を呼びかけていたけど、お客様のなかでももう既に何回も寄付されている方も沢山いらっしゃると思うし、これ以上義援金義援金と言うのもちょっと気が引ける。だから僕の個人のコンサートでは義援金はもうせずに、そこで頂いた出演料の一部を寄付させて頂こうと思う。


京響、京都、ありがとう。親切や温かさ、そしていろんな事に対して立ち向かう勇気をもらったな。
その分、もらった親切や勇気を被災された方に送れる努力をしようと思う。