25年

昨夜は3月31日オーケストラの日というオーケストラ連盟が主催するコンサートに神奈川フィルの一員として参加した。
円光寺さん指揮で「展覧会の絵」その他を演奏した。

大学を卒業したての頃、丁度円光寺さんが仙台フィルの常任指揮者に就任した年に少しの間仙台フィルのゲストの首席として働かせて頂いた時期がある。
その時に演奏した「展覧会の絵」を忘れる事が出来ない。
もちろん当時はオーケストラの事も全く知らず、オーケストラの曲も全く知らなかった。
知っていたのは学生時代に大学のオーケストラで演奏した曲のみだった訳で。

円光寺さんとは宿泊していたホテルは違ったけど、何度もお茶や食事をごちそうになっていろんな事を教えて頂いた。
「ひろやす、ホテルの珈琲はおかわりができるんだよ」
そんな事まで教えてもらったな。

当時「展覧会の絵」は曲名と冒頭のトランペットぐらいはなんとなく知っていたけど、その後の部分は全くの未知の世界だった。細かい音も必死に練習して行ったけど(オーケストラの中ではなんでこんなに弾けないんだろう)と思ったな。でも曲の最終盤での音量や壮大な響きにすっかりオーケストラのとりこになった曲でもある。
あの仙台での「展覧会の絵」から25年という月日が流れたけれど、僕は何を得て来たんだろう?
コンサート中で大変不謹慎ではあるけれど、そんな事が頭をよぎったり、また昔の円光寺さんとの想い出が蘇ったりの「展覧会の絵」となった。

仙台フィルもその円光寺さんが常任指揮者になった時に名称を変更して今の「仙台フィル」になったけれど、
その前は宮城フィルだったし、愛称は「みやフィル」だった。
「みやフィル」から「仙台フィル」へ。
大きな転換点だったんだと思う。
その後僕も都響や広響、神奈川フィルと働く場所を変えて行ったけど、全国のほとんどのオーケストラも大きく飛躍し、どのオーケストラも何か魅力を持ったオーケストラになっていった。

そんな25年の間に僕は何をして来たんだろうと昨日からぼんやり考えている。
いや、昨日からではない。
29日に京都市交響楽団でショスターコービッチの8番を演奏した後も考えてたし、正直この1年はそんな事ばかり考えている。
とにかく最近演奏会後ふさぎ込む事が凄く多い。
僕がオーケストラにいる意味はあるんだろうか?
とか
僕は何か1つでもオーケストラに貢献したのか?
とか
一体僕はオーケストラの何を学んだろう?
とか。
考えれば考える程、行き着く所は僕のキャリアの第一歩の頃や学生時代のメンタリティだったりする。

そんな今日、芸大でレッスンしていたカルテットのファーストバイオリンの子が4月から仙台フィルに入団したというニュースを知りとても嬉しく思った。
オーケストラって生き物なんだな。
個人が貢献したとかしていないとかではなく、とにかく後に繋げて行けば良かったんだ、とふと思った。当然、カール・ルイスからウサイン・ボルトのように100メートルの記録は驚異的に伸びたように、楽器を弾く事だって進化している筈だ。
だからその若い人達に繋げて行ければ良いんだと思ったし、今後もそうでありたいと思った。

昨日はロビーにて首都圏のオーケストラがブースを出して、各々特色がある物を売ったりしていた。
ゲネプロと本番の間、そして終演後にそこをうろうろしたけれど、
それこそオーケストラの「展覧会の絵」だった。