4年という月日

毎年この頃になると、というよりいつでもフッと気付くとあの日の事を思い出したりしている。
マーラーの6番のリハーサルの最終日だった。練習終了後の2時46分。
同僚のオーボエ鈴木純子とアートホールの廊下で何を話していたかは全く覚えてないけれど、
最初は建物の軋む音に不気味さを感じ、次第に地鳴りのとうな音に恐怖を感じた。
そして「ねえ、ヤバくないかな?外に出た方が良くない?」と言った記憶がある。
まだ練習場には同僚が沢山残っていて、とにかく外に出たのを覚えている。
駐車場の車がバスケットボールのドリブルの様にバウンドしている風景を見ながら立ち尽くしたな。
その日の夜、次の日の津波の映像を見てからはそんな車のドリブルなどどうでも良くなってしまったけれど。


4年という単位。
閏年もそうだし、オリンピックもサッカーワールドカップもその単位でやって来る。
あの未曾有の大災害から4年が経つ。


いったい僕は何が出来たんだろう?とよく思う。
今日の東京新聞には「原発関連死1232人に」と一面に書かれていた。
僕もボランティアでも募金でも、出来る事はやったという気になっていたいけれど、
それが果たして災害を受けた方々の為になったのかと思うとかなり疑わしい。

当時、歌手の松山千春さんがTwitter
「金がある奴は金を出せ、、(略)、、何も出来ない奴は元気を出せ」とおっしゃってた。
僕はその「何も出来ない奴は」に該当してた訳だけど、元気を出す事も出来なかったな。
友人知人と食事をしたりすれば政府の批判をしてるだけで、何もしてこなかった。
元気も出せなかった訳で。

人間、こういう時に真価を問われるんだなと自らを恥じる。
とは言え、あらゆる事は考えて来たつもりでいる。
4年で人間的に成長したかどうかも疑問だけど、
とにかく自分の身は自分で守らないといけないのではないかと言う事は強く思う様になった。
国がなんとかしてくれるなんていう幻想を捨てられるには十分な時間だった。

それは国のみならず、組織だってそう。
世界中、帝国主義的な流れになって来ていて、それに日本も必死に入ろうとしている。
それをまた組織も段々そういう流れになって来ている事が凄く気になる。
国と同様、うるさい奴は排除。
だれがそんな日本人にした?
「絆」ってなんだった?
単にみんなの安心の為の言葉だったのか?

でも僕が出来る事って今日という1日を精一杯仕事して、食べて寝て笑って怒って泣いてだけなんだよな。

明日はまたメディアと等々では311から4年という特集をどこでもやるんだろう。
これを10年後も50年後も100年後も毎年やって欲しいよ。どうせやるなら。
わずか70年で戦前と同じ空気と言われるようになってしまうんだから。

今ドイツのメルケル首相が来日されて、天皇陛下にお会いした際にワグナーの「タンホイザー」のピアノスコアの初版を献上されたそうだ。
こんな指導者のいる国に生まれたかったものだ。

何も出来ないかも知れないけど、一生懸命生き抜く、これだけは亡くなられた方々に誓いたい。
そして、多くの災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。