サイトウキネン 5

3週間に渡っての僕の夏、サイトウキネン・オーケストラの公演が全て終了した。
フェスティバルとしては正確に言うと小澤塾によるラベルの「子供と魔法」の公演は残っているけれど、サイトウキネン・オーケストラの公演は全て終了した事になる。


3週間も松本に滞在していた訳だから、指揮者やオーケストラのメンバーはもちろんスタッフ、ボランティアの方々、美味しい食事を毎日食べさせて頂いたお店の数々等々、当然多くの方々と関わり、お世話になり、そして再び大事な事を沢山得て東京に帰る事になった。
お世話になった方々一人一人にお礼を言いたいけれど、この場をお借りして感謝の気持ちを表させて頂きたく思う。



本当にありがとうございました。



小澤総監督、ファビオ・ルイージさんやオーケストラのメンバーの方々からは自分の努力だけでは見える事の出来ない世界を見せてもらって、僕の音楽家としての未熟な事、足りない事、やらなければ行けない事を今年も沢山突きつけられた。でもこれは本気で頑張らないと音楽界の中で足手まといになる。
でも、本当に大事な事は、このフェスティバルから僕が何を得て、何を今の若いプレイヤーに伝えていかなければならないか?という事だと思う。
名前こそサイトウキネンフェスティバルからセイジ・オザワ松本フェスティバルと変わったけれど、理念は一貫していると思う。
上村昇さんとフェスティバルの後半に二人で食事をした時に「斎藤秀雄先生を始め、その当時のパイオニアの方々、そして今の小澤総監督、どうしてそこまで命や身体を削ってでも伝えようとしているのか」という事が話の中心となった。
そして「それを僕たちは真似出来るんだろうか?」という事に話は行き着く。
あそこまで出来ないにしろ、やっぱり音楽家である以上この偉大な音楽という遺産、楽曲という地球の財産を後世に正しく伝える事、そして絶やす事がない様にして行く事こそ、僕らの仕事じゃないか?と。
上村さんだけではない。
矢部君だって原田禎夫さんだって同じ様な事を言う。



それを正しく伝える為に日夜あーでもないこーでもないと奏法を変えてみたり戻したりの毎日。
年齢を重ねればフィジカルは衰えて当然。それを衰えていない年齢の時以上の結果を生む為の努力は本当に苦しい。でもそれをしないと、毎日の自分の関わるオーケストラでも迷惑にしかならないし、当然サイトウキネンで要求される全ての事は全く応えられない。
多くのメンバーのどんな年齢でも凄まじい努力を目の当たりにする事が、まずはそれが僕を押しつぶすんだよね。
それは個人的な事として。


この斎藤先生や当時のパイオニア達が心血を注いだ様に僕もそれをもっとやらないと。
それは演奏する事でもあり、教える事でもあり。

こうやって3週間の滞在から途方もない宿題を与えられて東京に帰ってきた。
何をしなきゃいけないかをまずは落ち着いて自分で整理しようと思う。