サイトウキネン 2

先日、僕が昔大変お世話になった松本在住のご夫妻にお会いした。
そのご夫妻には2人の娘さんと1人の息子さんがいて、昔は鈴木メソッドで娘さん2人はバイオリンを、息子さんはチェロを習っていた。。
今は3人とも幸せに松本以外の地で生活しているけれど、その息子さんが大きくなった時の為にとそのご夫妻は素晴らしいモダンのイタリアのモラッシーというチェロを購入していて、実は僕はそのチェロをお借りして大学の入試を受けた。
つまり、僕のチェリストとしてのスタートはその楽器からだった。
そのご夫妻と久しぶりにお会い出来て、その楽器の話からそれをとりまくあらゆる想い出話を食事をしながらさせて頂いた。
あまりに懐かしくホテルに帰ってからもしばらくぼんやりとその頃の事を考えていた。


今はこうやってサイトウキネンで毎年松本に呼んで頂いていて夏の間一ヶ月弱ここで生活しているけれど、考えてみれば松本という街は本当に縁が深い街なんだと思った。
鈴木メソッドでチェロを始めて、毎年夏に鈴木メソッドが開催している「夏期学校」でエクレスのソナタを独奏したのもここ松本だった。
僕の高校時代の現代国語の先生で、唯一高校時代に一緒にご飯を食べた大好きで尊敬するY先生も、もう30年もこの松本の高校で教鞭をとっている。
そして初めてフルのコンサートを指揮したのも松本のオーケストラだし、サイトウキネンで松本に来る様になってから大変お世話になっている方も沢山いる。


僕のチェリストとしてのスタートは松本だったんだな。
小澤総監督の指揮したベートーベンの交響曲の第7番の時の弾きながら落涙するぐらいのコンサートで、しかもこの松本の地でキャリアを終えられたらとも思った。
そんな綺麗に人生終われる筈もないし、これからもう少しやりたい事もあるからまだしばらくは頑張って勉強しなきゃと思うけれど、夏以外の春、秋、冬にも松本を訪れて1週間ほどゆっくりしてみたいと密かに企んでいる。

サイトウキネン 1

今年も松本でのこのフェスティバルでのリハーサルや本番に参加させて貰った事を心から嬉しく思うし、誇りにも思う。とは言え、このフェスティバルに来たからいつもと違う仕事をする訳ではない。
ここで普段自分の職場でやっている事を変えて仕事をする事は無意味な事で馬鹿げた事だと思う。
去年のフェスティバルが終わってから、今年のフェスティバルが始まるまで1年間、あらゆる仕事の中で何を考え、何を試み、良い悪いではなくどんな結果を生んでそこから何を得てきたのかがここで出るだけの話。
だから急に頑張っても滑稽なだけだし、それは全ての人にわかってしまう。


確かにいつのもタイミングや奏者が違うから、その擦り合わせはもちろんするし、このサイトウキネンオーケストラで求められる音という引き出しを数多く持っていないと仕事にならないのは当然の話だけど。
と言いながら、その音はどうするのかはこの期間やっぱり悩みに悩む。
ベートーベンの7番の冒頭のA durのコードの1音、これだけでも相当悩む。
隣の上村さんと弓のスピードが違う、木越さんと音の立ち上がりが違う、小澤さんは何を求めてるのか、コンマスの豊嶋さんの弓の切り方はどう、様々な事を思う。

でもそれはいつも思っている事ではある。
ここだから特別に気にしている訳でもなく、神奈川フィルでも京響でもどこでも毎回思っている事。

今年松本に来て6日間は毎日びっしりリハーサルがあったし、オフもなく演奏会2回。それもオネゲル交響曲第3番、ベートーベンの交響曲第7番、そしてマーラー交響曲第2番「復活」とフィジカルもメンタルも疲弊したのは事実。今日が初めてのオフ。
でも、体力的にまだ万全とまでいかない小澤総監督がコンサートで渾身の力を振り絞っての指揮する姿を見ると、なんとも自分の弱さが情けなくなる。
だからなんとかしたくて午前中に4キロ程度のウォーキングをして身体を安定させているような気がするんだよなぁ。気休めなのかもしれない。

とにかく明日、明後日と本番がまた続くので、力む事なくとにかくその瞬間瞬間、最善の仕事ができる事に集中したいな。

国歌

いろんな所で今回のオリンピックでの「君が代」のテンポについて多くの意見を読ませてもらった。
こんな事、今まであっただろうか?
国歌のテンポがTwitterやニュースなどに取り上げられた事は嬉しい事だと思ってる。
Twitterなどで知ったのは誰が指揮者で何処のオーケストラで、そして何故そこまでテンポが遅くなったのか等々。
その理由をそのレコーディングに関わった方が
国旗掲揚の時間に合わせる為にテンポを遅くしろという指示があった」
とそれもTwitterに書いていた。


体操の内村さんが
「声が枯れるまで歌おうと思ったんですけど、結構遅くて、、、」
とインタビューに答えていた。


でも今回の君が代はかなり遅いなと僕も思う。
あれではなかなか歌いにくい気もする。
とはいえ、そのテンポを批判しようとも思わないし、逆にどんなテンポでもあっていいと思う。


大事なのはどの指揮者に依頼し、どのオーケストラに依頼してという時に、その音楽家への信頼を持たない発注だったと言う事だ。
国旗が上がるまでに時間がかかるからという理由は、国歌を歌う事、その依頼した指揮者の音楽性などどうでも良いと言う事などがないがしろにされていた事が僕には不満。
どんな演奏をするオーケストラなのか、どんな音楽を作る指揮者なのかという事をちゃんと何十人も聴きに行って決めるとか、この響きで国歌を演奏して欲しいという想像すらしていない証拠をさらけ出してしまった。


それが国の文化の根幹をなす国歌の演奏という現場で起きた事ががっかりさせる。


指揮者やオーケストラを決めて「あなた方の演奏をとにかく信頼しています、そして良い演奏が出来る事を期待しています」と投げられた上での録音ならテンポが早くても遅くても敬意をもってその演奏を受け入れたいとは思うなぁ。

法律を作ってまで国歌を歌わせようとしている割に、その国歌とは音楽なんだという事には無頓着。
浅いね。
それに、僕は日本人、そんな法律がなくても日の丸が上がれば心から嬉しいし、国歌が流れれば感動する。
それを強制する事のバカバカしさが今回の寸法の為のテンポ設定なんだなと思った。


作編曲家の沢田さんが「歌えないテンポはダメだろ、規格に合わないのなら前奏を付ければいいじゃん」って言っていたけど、前奏を付ける事が良い悪いじゃなくて、多くの音楽家が歌いにくいテンポである事には何か想いを思ってると思う。
序曲を演奏しながらオペラの幕が開く演出で、その幕が綺麗にあくまでに10分かかるから、フィガロの序曲は10分で演奏してくれ、という事と一緒。
日本人のぼくにとって大事な国家なんだから、もっと専門家を信じて欲しいと思うな。
でも仕事ってそんなものなのかな?

そんなちょっとがっかりした気分を明日からの松本ですっかり消し去りたい。

言葉

どうやらいつの間にか僕は古い人間というカテゴリーに入ってきたと実感する事がある。
それは音楽や演奏の好みもそうだし、生活においても「言葉」も「ひょっとして僕は古い人間になったのかな?」と感じる時が少なくない。


当然優れた方々の事を敬意をもって表しているんだろうけど「天才」という言葉。
これを乱用して欲しくないのだよ。
天才って言われて当然のような方はどの分野にもいらっしゃると思うし、野球界でのイチローさんを始め結構たくさんの天才がいる。
サッカーも芸人もある分野があれば必ず何人も天才と呼ばれる方はいる。
当然素晴らしい才能を持ってらっしゃるから別に良いと言われればそりゃそうなんだけど、音楽を職業とする僕にはモーツァルトが天才と呼ばれたら後はなかなか天才と呼べる人がいないのが正直な所。
いやいや、メンデルスゾーンシューベルトも、ドビュッシーも、とあげれば全て天才となってしまうけれど、モーツァルトだけで良いかなと実は思っている。

モーツァルトの何が天才なのか?と言われても僕は到底説明出来ない。
いろんなエピソードはあるにしても、それがいわゆる「天才」の証明にもならないし、どうしても言葉でその凄さを説明する事が出来ない存在なんだよなぁ。

世の中、あらゆる分野で「天才」と呼ばれる人が多すぎると、モーツァルトは天才の上でなければならないと思うのよね。そうすると「神」?
でも、最近はちょっといかした対応が出来ると「神対応」と賞賛されて、神の威厳もハードルも限りなく下がってきた。「天才」も「神」も軽々しく使うなよ!
こういう時なのよ、古い人間になったのかなと思う時は。


まだ30歳前後の時にリサイタルをして、バッハの無伴奏を弾くにあたって、ほとんどビブラートをかける事なく弾いてかなり色んな方々に批判された事もあった。
学生時代からひたすらビルスマさんに憧れて、その古楽というものの真髄を掘り下げる事も知る事なくビルスマさん的に真似てただけだったからかも知れないけれど、それは批判に値すると僕も思う。
でもその後ピリオド奏法と言うか、古楽器奏者の演奏スタイルをモダンの楽器で弾く事がおしゃれだという時代がやってきた。そして今はまたその揺り戻しがあり、かなり戻ってきた時代になった。

実は学生時代、桐朋学園の中で作られたフラウト トラヴェルソの有田さんが作った古楽器オーケストラに所属していた事がある。
でもこれは全く違う楽器だった。
モダンのチェロとバロックチェロは。
それで断念してモダンで生きる事にした。
今でも鈴木秀美さんとお話をする度にバロックチェロをやってみたいとも思うけれど、そんな甘いもんじゃないし、全く別の楽器であると思っている。
僕が演奏活動を始めた頃から、いろんなムーヴメントがあったし、僕もその度に感化されたり憧れたりはしてきた。
でも今、何故か昔の演奏家の偉大さに感銘を受ける事が多い。
音楽もさることながら、音かもなぁ。
言葉も音も音楽も、やっぱり今の若い方々とは好みが古いと言う事は仕方がない事かもしれない。
だから若い人から学べるし、未だに僕の諸先輩方や先生の世代の方からも学べる。
自分は今どういう立ち位置でいるのか?それを考える事も面白い。
どんなスタイルが流行っても、結局はど真ん中を目指している事が大事な事かなとも思う。
保守って、大事な事を守る為に少しずつ進化する事の様な気がする。
でも言葉だけはどうやら違うようだな。

音楽の友8月号

物心ついたときから雑誌「音楽の友」はあった。
若い頃はその批評欄に自分の関わった演奏会があれば読んだ。
褒められたら喜ぶし、その逆の時は落ち込んだりもした。


オーケストラのリハーサル場には必ず新しい「音楽の友」は置いてあるし、読む時は読んで来たけれど、音楽の仕事をしながら大変申し訳ない事にこの「音楽の友」を購入したのは実に久しぶりだった。


それも人に「お前の事が書いてあった、読んだ方が良いよ」と言われたから気になって購入したわけで、全く不真面目な読者である事をここでお詫びしたい。


そこには山野さんという音楽ライターの方が神奈川フィルの首席客演指揮者のサッシャゲッツェルさんをインタビューした記事が載っていた。
そこで山野さんが導いて下さったのか、僕がコルンゴルトのチェロ協奏曲を弾いた演奏会の感想をゲッツェルさんが語っている部分があり、あまりにも僕はそれに感動してしまった。そしてこれほど嬉しい事はなかった。
そこには僕の目標としてきた首席チェロ奏者像とゲッツェルさんが褒めて下さった事がほとんど一致していた。
原文をここに載せる事はもちろん出来ないけれど、何かホッとしたというか、視界が開けた気がした。


そんな文章を読んだ後にショスターコビッチの交響曲第15番の演奏会があった。
ご存知の方は多いと思うけれど、この曲の2楽章には頂戴で本当に難しいチェロのソロが出て来る。
弾いた経験もほとんどない。
大昔にゲストで伺ったオケでこの交響曲の難しさも知らず若さと勢いに任せて弾いた遠い記憶しかなかった。
改めて勉強して、これこそ恐ろしいソロである事を思い知らされる事となった。
ゲッツェルさんがあの様に書いてくれて、そんな中での失敗など許される筈もないし、せっかく彼が言ってくれた事を絶対に裏切る事も出来ないという想いが強かったし、そんな中での15番の本番だった。


結果がどうだったかは僕にはわからない。
ただ、これで僕は何か終わりを迎えた様な気がした。
充実感はあった。


僕がまだ学生の時に初めて都響にエキストラとして参加した時の曲がこのショスターコビッチの15番の交響曲だった。今東京音楽大学の教授である苅田雅治さんの弾いたこの2楽章のソロは忘れる事が出来ない。
この状況で、こんなソロを弾く人の神経が理解出来なかったし、素晴らしいソロだった。
これがプロの世界なんだと悟らせてくれた曲を、50歳になって再び弾いた。
一周したのかな?とも思った。
それを隣で弾いていた門脇さんがどう感じたかはわからないけど、彼は今後必ずこの曲を弾く事になるだろう。
その繰り返しでオーケストラは回っていく。
そうやってヨーロッパのオーケストラも回ってきた筈だ。

「音楽の友」のゲッツェルさんのインタビューと言い、今回のショスターコビッチの15番のソロと言い、僕のオーケストラ人生の締めくくりなのか、さらにその先何かをしなければ行けないのか、やれる事はまだあるのか、を考え始めるには大きな出来事だった。
そして今でもそれは考えている。
もちろんチェロは弾き続ける。
どんな形で弾き続けて行くのか、もう少し悩む事になるだろう。

生活をしていかなければならないからまだまだ難しいけれど、精神的には僕の最終的な目標である「究極のアマチュア」には少し今回で近づけた気がする。

半年終了

なにせ、あっという間。
4月に入ってからは自分でも自分を見失う様な毎日だった。
昨日ようやく今年度に入って初めて遊びに出掛けた。


神奈川フィルの事務局のパーソナルマネージャーの中条くんが6月の半ばに
「ひろやすさん、名古屋フィルさんの合同演奏会が終わった後の数日間で夜に時間がある日はありますか?」
と聞いてきた。
僕が手帳を見て28日29日の夜だったら大丈夫だと答えると彼は次の日『巨人対中日』戦のチケットを買ってきた。
「一緒に観戦しに行きましょう」と。
しかもお金を受け取らない。
理由を聞くと、彼が5月の京響の定期に夜行バスで聴きに来てくれた時に普通にランチを御馳走したり、失敗もありながらもあまりに仕事を頑張っている彼の姿を見ていて、「とにかく良い仕事は良い時計からだ」と何の根拠も理由もなく昔に使っていたロシア製の手巻き時計をプレゼントした事をずっと彼は気にしていたらしい。
そのお礼だと言う事だった。

新たに何かを買って贈った訳でもないのに逆に申し訳無かったけど、有り難くチケットをもらって一緒に中日ドラゴンズ側で観戦した。
残念ながらドラゴンズは負けてしまったけど、久しぶりの野球観戦だったし、やっぱりライブ空間は日常を忘れさせてくれて凄く開放された気分になれた。

観戦中は野球の話が多かったけど、もちろん音楽の話も沢山した。
中条君の並々ならぬ音楽への愛情は僕がたじろぐほど。
そんな彼が40歳や50歳になったら、一体神奈川フィルはどんなオーケストラになっているんだろう?と妄想するだけでも愉快だった。


神奈川フィルの常任指揮者の川瀬さんが先日の名古屋フィルとの合同演奏会の後、
「クビにならなければ神奈川フィルの50周年の時までやりたいと思っている」という事をおっしゃったらしいけど、是非やって頂きたいと思う。


オーケストラが良い方向に変化するのは恐ろしいほど少しずつだ。
一挙に何かが良い方に動く様な事はない。
それはオーケストラで働く人はみんな知っている筈だ。
でも、悪い方に行ったり、落ちる時は半年あれば十分過ぎる。
1年あれば別のオケと思われるぐらい転げ落ちる物だ。


でも僕は信じてるよ。
別に野球のチケットを貰ったからではなく、
中条君のような若者がさらに音楽を愛していき、川瀬さんの様な若きリーダーが今よりももっと音楽と格闘して、それにオーケストラのメンバーの多くが音楽にもっと真摯に向き合えば、誇れるオーケストラになると思う。
最近、首都圏のオーケストラはかなり聴きに行った。もちろん神奈川フィルも含めて。だから余計に確信に近い想いがあるんだよね。


明日から 2016年の後半が始まる。その初日の午前中はとりあえず僕は歯医者さんに行かないと行けないけど、神奈川フィルのみならず、日本中のオーケストラが良い方向に少しでも進んでくれたらと思っている。

レニングラード

25日土曜日(みなとみらい)、27日月曜日(名古屋)と名古屋フィルと神奈川フィルの合同演奏会がある。
今そのリハーサルの真っ最中。
あの神奈川フィルの練習場に130人がいて、みんなで音を出す訳だからその音圧たるや筆舌に尽くしがたい。



愛知県春日井市で生まれ名古屋に引っ越し、そして上京。
とっくに東京での生活の方が長くなり、東京での仕事がほとんどではあるものの、未だに中日ドラゴンズファンだし、東京に来てから発足したJリーグも何故か名古屋グランパスのファン。
ここ何台かはトヨタ車だし、三つ子の魂は50歳になっても変わらない。
そんな中、自分の所属するオーケストラが名古屋フィルと合同で演奏会をするなんて。



名古屋フィルには沢山の友人、先輩後輩がいる。
大学一年生の時に初めてカルテットを勉強した時のバイオリンの先輩もいるし、チェロの先輩がなにせ2人もいる。
当時は恐い先輩で怒られてばかりいたけれど、今はお二方とも歳を重ねてまるくなり、紳士になってた。
隣で弾いているのが先輩の1人。
仕事をしながらの彼の言葉や動作で、やっぱり長い年月オーケストラで考え試行錯誤をずっとされてきたんだなと思った。
なにを今までオーケストラでしてきたか、音楽に対してどう対峙していたのかは1時間のリハーサルでわかる物だ。
というか、合同だからと張り切ろうが、頑張ってる振りをしようが、普段の事しか出ない物だ。
あわてて練習してもそんなのはバレる。
普段何をしてオケに来ているかなんてすぐバレる。
先輩を見て嬉しかった。
この年月に各々の人生があり、音楽があり、場所は違っても、同じオーケストラという土俵に生き、様々な想いを持ち寄って彼らとこんな時代に「レニングラード」を弾く。
これほど意味がある事もそうはないのではないかと思う。



名古屋のコンサートには父親も聴きに来る。
できたら母親と揃って聴きに来て欲しかったな。
終演後にそれこそいろんな話が出来ただろうに。