音楽の友8月号

物心ついたときから雑誌「音楽の友」はあった。
若い頃はその批評欄に自分の関わった演奏会があれば読んだ。
褒められたら喜ぶし、その逆の時は落ち込んだりもした。


オーケストラのリハーサル場には必ず新しい「音楽の友」は置いてあるし、読む時は読んで来たけれど、音楽の仕事をしながら大変申し訳ない事にこの「音楽の友」を購入したのは実に久しぶりだった。


それも人に「お前の事が書いてあった、読んだ方が良いよ」と言われたから気になって購入したわけで、全く不真面目な読者である事をここでお詫びしたい。


そこには山野さんという音楽ライターの方が神奈川フィルの首席客演指揮者のサッシャゲッツェルさんをインタビューした記事が載っていた。
そこで山野さんが導いて下さったのか、僕がコルンゴルトのチェロ協奏曲を弾いた演奏会の感想をゲッツェルさんが語っている部分があり、あまりにも僕はそれに感動してしまった。そしてこれほど嬉しい事はなかった。
そこには僕の目標としてきた首席チェロ奏者像とゲッツェルさんが褒めて下さった事がほとんど一致していた。
原文をここに載せる事はもちろん出来ないけれど、何かホッとしたというか、視界が開けた気がした。


そんな文章を読んだ後にショスターコビッチの交響曲第15番の演奏会があった。
ご存知の方は多いと思うけれど、この曲の2楽章には頂戴で本当に難しいチェロのソロが出て来る。
弾いた経験もほとんどない。
大昔にゲストで伺ったオケでこの交響曲の難しさも知らず若さと勢いに任せて弾いた遠い記憶しかなかった。
改めて勉強して、これこそ恐ろしいソロである事を思い知らされる事となった。
ゲッツェルさんがあの様に書いてくれて、そんな中での失敗など許される筈もないし、せっかく彼が言ってくれた事を絶対に裏切る事も出来ないという想いが強かったし、そんな中での15番の本番だった。


結果がどうだったかは僕にはわからない。
ただ、これで僕は何か終わりを迎えた様な気がした。
充実感はあった。


僕がまだ学生の時に初めて都響にエキストラとして参加した時の曲がこのショスターコビッチの15番の交響曲だった。今東京音楽大学の教授である苅田雅治さんの弾いたこの2楽章のソロは忘れる事が出来ない。
この状況で、こんなソロを弾く人の神経が理解出来なかったし、素晴らしいソロだった。
これがプロの世界なんだと悟らせてくれた曲を、50歳になって再び弾いた。
一周したのかな?とも思った。
それを隣で弾いていた門脇さんがどう感じたかはわからないけど、彼は今後必ずこの曲を弾く事になるだろう。
その繰り返しでオーケストラは回っていく。
そうやってヨーロッパのオーケストラも回ってきた筈だ。

「音楽の友」のゲッツェルさんのインタビューと言い、今回のショスターコビッチの15番のソロと言い、僕のオーケストラ人生の締めくくりなのか、さらにその先何かをしなければ行けないのか、やれる事はまだあるのか、を考え始めるには大きな出来事だった。
そして今でもそれは考えている。
もちろんチェロは弾き続ける。
どんな形で弾き続けて行くのか、もう少し悩む事になるだろう。

生活をしていかなければならないからまだまだ難しいけれど、精神的には僕の最終的な目標である「究極のアマチュア」には少し今回で近づけた気がする。