国歌

いろんな所で今回のオリンピックでの「君が代」のテンポについて多くの意見を読ませてもらった。
こんな事、今まであっただろうか?
国歌のテンポがTwitterやニュースなどに取り上げられた事は嬉しい事だと思ってる。
Twitterなどで知ったのは誰が指揮者で何処のオーケストラで、そして何故そこまでテンポが遅くなったのか等々。
その理由をそのレコーディングに関わった方が
国旗掲揚の時間に合わせる為にテンポを遅くしろという指示があった」
とそれもTwitterに書いていた。


体操の内村さんが
「声が枯れるまで歌おうと思ったんですけど、結構遅くて、、、」
とインタビューに答えていた。


でも今回の君が代はかなり遅いなと僕も思う。
あれではなかなか歌いにくい気もする。
とはいえ、そのテンポを批判しようとも思わないし、逆にどんなテンポでもあっていいと思う。


大事なのはどの指揮者に依頼し、どのオーケストラに依頼してという時に、その音楽家への信頼を持たない発注だったと言う事だ。
国旗が上がるまでに時間がかかるからという理由は、国歌を歌う事、その依頼した指揮者の音楽性などどうでも良いと言う事などがないがしろにされていた事が僕には不満。
どんな演奏をするオーケストラなのか、どんな音楽を作る指揮者なのかという事をちゃんと何十人も聴きに行って決めるとか、この響きで国歌を演奏して欲しいという想像すらしていない証拠をさらけ出してしまった。


それが国の文化の根幹をなす国歌の演奏という現場で起きた事ががっかりさせる。


指揮者やオーケストラを決めて「あなた方の演奏をとにかく信頼しています、そして良い演奏が出来る事を期待しています」と投げられた上での録音ならテンポが早くても遅くても敬意をもってその演奏を受け入れたいとは思うなぁ。

法律を作ってまで国歌を歌わせようとしている割に、その国歌とは音楽なんだという事には無頓着。
浅いね。
それに、僕は日本人、そんな法律がなくても日の丸が上がれば心から嬉しいし、国歌が流れれば感動する。
それを強制する事のバカバカしさが今回の寸法の為のテンポ設定なんだなと思った。


作編曲家の沢田さんが「歌えないテンポはダメだろ、規格に合わないのなら前奏を付ければいいじゃん」って言っていたけど、前奏を付ける事が良い悪いじゃなくて、多くの音楽家が歌いにくいテンポである事には何か想いを思ってると思う。
序曲を演奏しながらオペラの幕が開く演出で、その幕が綺麗にあくまでに10分かかるから、フィガロの序曲は10分で演奏してくれ、という事と一緒。
日本人のぼくにとって大事な国家なんだから、もっと専門家を信じて欲しいと思うな。
でも仕事ってそんなものなのかな?

そんなちょっとがっかりした気分を明日からの松本ですっかり消し去りたい。