ベートーヴェンピアノ協奏曲全曲演奏会

昨日、東京オペラシティにて、横山幸雄さんのピアノと「トリトン晴れた海のオーケストラ」によるベートーヴェンピアノ協奏曲全曲演奏会が行われた。


横山君の超人ぶりはショパンピアノ曲226曲を1日で弾くという演奏会を敢行した事だけでも十分な情報であるとは思うけど、その超人ぶりは健在だった。
体力もさることながら、僕にとってはそれを暗譜している事にまずは卒倒する。
まあともかく、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲1日弾く事の本当の凄さは実は僕にはわからないのかもしれない。ある意味僕の知らない風景を見ながら生きているようなものだから。


リハーサルの時、横山君に「超人健在だなぁ」って言うと「超人って人ではないって事?じゃあ何だろ?」と普通に返ってきた。とは言え、彼の中では自分に対する不満もあるかもしれないし、より高いレベルを目指している事は間違いないから、あまり超人という一言で片付けるのは止めようと思う。



今回彼の伴奏をした「トリトン晴れた海のオーケストラ」について書きたいと思う。
都響の矢部君がコンサートマスターとしてリードする指揮者がいない室内オーケストラでNPOトリトン・アーツ・ネットワークが2015年に立ち上げた生まれたてと言って良いオーケストラで、去年初めてコンサートを行った。そして今年も10月30日にだい2回目の定期公演を控えている。


リハーサルはもちろん矢部くんが「こうしたらどうだろ?」と提案をしながら進む。そしてその提案について方向が決まるとそれを整理作業に入るのだけれど、この整理作業がちょっと普通じゃなく面白い。
もちろんそのパート、パートで勝手にその方向に沿った音楽を作ろうとはするのだけれど、基本ドンピシャでコンサートマスターの矢部君に合わせようとするのではなく、空間の響きに対してどう次の音を出すかの議論が始まる。
音楽は立体だという事が特にチェロとバスの間では共通認識で、その立体の形をどうやって動かすかの話し合いが多い。もちろん主要なメロディ、楽器を生かす為の低音の在り方はしょっちゅう池松くんと話し合った。
最終的には一番重要な柱となる部分はコントラバスの合図で音を出す。
もちろん待つだけではなく、一緒に呼吸をしつつコントラバスの音を想像してコントラバス倍音を広げる作業に徹する事が最高に楽しく、そして最高に幸せな瞬間だったりする。
当然チェロの人からはコントラバスの池松くんは全く見えない。
気配だけの信頼だけ。気配って言ってもオーケストラやピアノは音を出している訳で、静まり返った中での気配ではない。
これが僕の中での一番のチェロバスの在り方だと思っていたし、奇しくも池松の理想でもあったらしい。
これが出来る所はこの「晴れた海のオーケストラ」でしかない。
それで音楽の基礎となる「盛り土」が出来れば、実はバイオリンも管楽器の方々も多分自由になれる筈だと思っている。


と、リハーサルやゲネプロではそれがもの凄く良い結果を生んだけど、本番は悪魔が舞い降りる。
目に見えない音楽の響きや和声感、そしてそれを生み出そうとする喜びに満ちた場所が急に恐ろしくなる。
浮き足立つとはこの事だ。
1番から順番に5番まで演奏会では弾いた訳だけど、2番の途中でようやく僕は正気を取り戻した。
ビオラの篠崎さんなどは2番が終わるまでダメだったと告白。
といって、何かが破滅的になった訳でもないのだけれど、その理想と思った空間に浮かぶ「何か」に対しての僕らのアプローチに「ビビリ」が入った事によって萎縮した部分もあり、またその「ビビリ」が今まで安心し切っていたリハーサルでは絶対に作れない瞬間を作ったりしていたのも事実だ。
だから音楽は素晴らしい。
だから音楽は難しい。

でもこのリハーサルを3日して、休憩時間はずっとベートーヴェンを語り、とても素晴らしい時間を過ごす事が出来た。そして5曲×3楽章で15の楽章が全て似る事もなく書かれているベートーヴェンの凄さを思い知った5日間だった。

僕たちの仕事はこのベートーヴェンがいかに素晴らしいか、いかに凄いかをお客様にお伝えする事。
それがもし出来ていたら嬉しいし、出来ていなかったらまたもう一度チャレンジだ。
こうやって、お互いを冗談も含めて貶し合いながら1つずつ音楽を作っていける喜びは何事にも代え難い。

ゲネプロも終わり、矢部君が「みなさん、もう他に何もないですか?やりたい所はありますか?質問でもなんでも」と言った時に「アンコールは何番?」と聞いてみたら「一人でバッハでも弾いたら」と返された。
そしたら僕の20歳も年下の隣のチェロの若者がニタニタしながら「だからバッハ毎日弾いていたんですね。準備万端ですね」と。
いや、ウォームアップをした後必ず3曲程バッハを弾くのがルーティーンになってるだけだっちゅうの。
まあ何歳離れていても、舞台の上では全て精神が平等である事が音楽をする時には一番大事な事なんだよね。


その中で全曲をあっと言う間に弾き終えていった横山君には心から感謝したい。
そしてこのオーケストラのみんな、トリトンのスタッフには感謝しかない。