ゲッツェルさん最後の定期

4年前に首席客演指揮者として神奈川フィルの指揮者陣に加わったサッシャゲッツェルさんがマーラーの5番を指揮してオーケストラを去る事になった。
実際は、県民ホールでのコンサートが明日(22日)行われ、展覧会の絵やプロコフエフのピアノ協奏曲の第3番等を演奏するけれど、定期演奏会としてはマーラーの5番が最後だった。


沢山色んな事を僕たちに与えてくれたし、ウィーンフィルでの多くのエピソードも語ってくれた。
個人的にはブラームスのドッペルコンチェルトやコルンゴルトのチェロ協奏曲を一緒に弾かせてもらった。
ブラームスのドッペルコンチェルトの時は彼の楽屋に行って「レッスンしてくれ」と頼んでドッペルコンチェルトなのに、一人で色々教わった。
コルンゴルトの協奏曲の時は楽屋で「コルンゴルトの音楽の秘密はね・・・」と本当に友達の様に接してくれながらも多弁ではないものの、多くの事を惜しげもなく教えてくれた。
その都度、英語じゃなくてドイツ語でこの話を聞けたらもっと良かっただろうな、と思ってたな。
去年の定期公演ではブラームスのピアノ協奏曲の2番をオピッツさんと共に2回も演奏出来た事は僕には忘れられない想い出となった。



そんな彼が4日間リハーサルをして最後のマーラーの5番を振った。
ゲネプロが終わり、指揮台から彼は言った。
「どにかくミスを恐れるな。とにかくミスを恐れてはいけない。中にはミスを数えるお客様もいるかも知れないけれど、僕たち全員がどれぐらい音楽を愛しているのかをお客様に伝えなければならないんだ。全員が。全員が。そして僕は首席客演指揮者からいなくなるけれど、これだけはいつも忘れないで演奏して欲しい」と。



マーラーの5番を弾くだけでも相当な難曲。マーラーで言えば9番や7番に匹敵する難しさがある。
とは言え、これは他のオーケストラのマーラーを聴きに行っても思う事だけど、マーラーの特殊性は全てバッハの低音進行やベートーヴェンの革新性の範疇に入るものだ。
例えばベートーヴェンのop.130の大フーガはマーラーの5番よりの先にいってると思うし、モーツアルトの晩年の3分ぐらいの短いピアノ曲マーラーの後に書かれたと言っても信じてしまう様な作品。
だから、結局はベートーヴェンやバッハ、或はモーツアルトをずっと演奏していないと、このマーラの5番という曲は手に入らないし、頭にも入らない。絶対にマーラーはこれらの曲を知った上で作曲しているのだから。



最近の若いチェロの演奏家は、どんな曲でも本当に素晴らしく弾くし、凄い時代がやって来たと思っている。
だけど、最近コントラバスの池松くんから貰った1974年の日本でのダニエル・シャフランのカバレフスキーのチェロ協奏曲第2番のライブ録音を聴いて、これほどのチェロ弾きはまだ現代には出ていないと思うし、フォイアマンを超えるチェリストがいたら教えて欲しいし、やっぱりどんな時代でも昔の演奏家を訪ねていかないとそれ以上の時代も来ない気がする。
僕はそのシャフランのコンサートの会場に師匠である故・井上頼豊先生がいた事を思っただけでも感動する。



先日のコンサートは確かにミスは多かった。連鎖というものは恐いものだとも思った。
自分への反省はしたけれど、失望したり幻滅したりはしなかった。
僕の人生、音楽の旅の1コマだから。
どんな素晴らしい演奏でも、どんなに酷い演奏でも、過去になれば単なる想い出でしかない。
クライバーウィーン国立歌劇場の「薔薇の騎士」も想い出だし、僕が初めて発表会でサンサーンスの協奏曲の1楽章を弾いてエンドピンを滑らせたのも同じ想い出。
僕の未来にはどういう未来が待っているか知らないけど、とにかくゲッツェルさんが言う様に音楽の旅は人生の旅だと強く思ったのが先日のコンサートだった。


そして今はどっぷりベートーヴェンのピアノ協奏曲の中に沈んでいる。
明日が演奏会だ。
これも今月の旅の中の1つ。そして想い出になるだろう。