田園

1993年頃だったと記憶しているけれど、ウィーンの楽友協会でウィーン・フィルの定期だったか特別演奏会だったか記憶は曖昧だけど、バレンボイムの指揮とピアノでベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と交響曲第6番「田園」をステージの上にある席で聴いた。
その時僕はまだ20代で最初に就職したオーケストラに所属はしていたものの、オーケストラの素晴らしさや尊さなどまだ知らずにいた。
でもその「田園」を聴いて、あまりにも感動してその日が僕のオーケストラ人生のスタートになったと未だに思える程の素晴らしい忘れられない演奏だった。
それから25年ほどの歳月が流れ、僕なりに様々なオーケストラでの悩みや試行錯誤、喜びや感動も少なからず味わってきたけれど、先日「トヨタ・マスターズ・プレイヤーズ・ウィーン」というウィーンフィルを核とした小編成の奏でる「田園」を聴いて、再びあの日の田園を思い出し、またショックを受けた。


始まった瞬間から「田園って、これだよ。この響きだよ」と思った。
田園は本当に難しい曲とされているし、その事にはどのオーケストラの人間も異論はないと思う。
この響きを僕は25年前に体全体で受け、それを目指して今までやってきたつもりだ。
そしてああやってあの時の音楽や響きが伝えられてきているウィーンフィルの素晴らしさにただただ脱帽するだけだった。
僕は25年もの間、何をしてきたんだろう。
何か役に立つ事が1つでも出来たんだろうか?と考えると寂しい気分になったし、こういうオーケストラになって行くにはあと何十年、いや百年単位の時間がかかるんだろうか?と思うと僕は暗澹たる気分になった。
神奈川フィルに入って来た若い人達には何はともあれ「外を見て欲しい」「世界を聴いて欲しい」と思う。
もちろん日本のオーケストラも素晴らしいオーケストラは沢山ある。
でもファーストバイオリン5人、チェロ3人、コントラバス2人であの響が出せるという事はどういう事か、それを探求して欲しいし知って欲しい、そしてあのレベルを目指して欲しい。
僕にはそれを実現出来る様な力も蓄えもなかった。
頑張って来た自負はあっても、出来なかったんだから仕方ない。僕より素晴らしい若手の人達には是非人生守りに入らず、上を見て欲しい。そして上を目指し続けて欲しい。


25年前に田園を聴いて日本に戻ってきた直後、「田園」のコンサートがあり、当時の同僚であったファゴットの岡本くんと、最終楽章のチェロをファゴットのユニゾンの所を散々二人で色んな意見をぶつけながら勉強しながら音を出した日々が思い出される。


来週、神奈川フィルでも「田園」を演奏する。
すっかり自信を失った僕だけど、それは何の為かもわからないけど、もう一度あの響にチャレンジしたいとも思っている。
これで終わってしまっては悔やむに悔やみきれない。