父親

母親が亡くなって今年の12月2日で丁度7年になる。
昨日、一昨日と遅ればせながら実家でお線香をあげた。


母親と実家で最後に会話した時、母親は
「今年のお正月はどうするの?」という事を言った。
「今年はお正月にオペラがあって、お正月は帰れないな」
ぶっきらぼうに返事した事が悔やまれる。


確かにオペラで帰れなかったお正月の前に母親は亡くなった。


それから父親はずっと一人で生活をしている。
当初の落ち込みぶりはそれは激しく、あの父親がここまでになってしまうのかと思う程だった。
それから7年。
名古屋に帰る度に
「とにかく片付けられる物は片付けなよ」
「散歩をするとか、とにかく身体を動かさないとダメだよ」
とか僕自身もやってないのに、苦言を呈してきた。
そして僕だけじゃなく、弟にもかなりきつく言われていたらしい。

昨日父親が言うにはスポーツジムの会員になってプールで歩いているという。
そして家の中が帰る度に綺麗になっていき
「あれは何処何処に売った」とか
「あれをこの前ブックオフに持って行った」
などと話している。

前向きに生活してくれている事が嬉しい反面、なにかそこまで全てちゃんとやっていると、
準備をしている様に思えて(そこそこで良いよ)などどと考えてしまう。
人間勝手なものだな。

昨日朝食を食べながら
「来年から新しい大学で教える事になった」
と言うと
「チェロをそうやって人様に教えるような人間になるとはな。頑張っとるな。まだ春日井におる頃、そんなんだったらチェロなんて辞めろ!と言った事が今になって申し訳ないわ」
と父親が言った。
僕はそんな事言われた記憶もないけど、部活動に夢中になっていたからよく言われたんだろうな。
勉強もしない、チェロも触らない、バスケットボールだけしかしてなかったからね。

名古屋駅で老眼鏡を物色したりしてる年齢になってようやく、父親に「それがあったから今があるんだよ。そういう両親に育てられたから今がある。本当にありがとうね」
と感謝の言葉を言えた。


その言葉が言えなかった7年前、やっぱり母親がこの世を去るのは早すぎた。
せめて「ありがとう」を言える様な人間になるまで生きてて欲しかったな。
もちろん、僕が早くそう言える人間んになれば良かったんだけど。