ありがとう

9月の末に友人の入院する病院へチェロを弾きに行った。
彼のリクエストする曲をとにかく弾いた。
1時間弱だったけど、彼は時に微笑み、時には真剣な目つきで聴いていてくれた。


前にも書いたけれど、彼が中央大学の学生だった時、僕が中央大学のオーケストラのトレーナーとして行った時に知り合った。年齢は20年近く違うものの、練習が終わるとチェロの人達とご飯を食べに行ってあらゆる話をした。楽しかった。その話題は音楽のみならず政治、経済、そして語学や外国の話まで及び、トレーナーとして行っていたというより、彼らとそんな話をするのが楽しくて遊びに行っていた感もある。
彼はアラビア語をその当時学んでいて、留学もした。


卒業後、彼はあのビールで有名なキリンに就職。
僕がバッハの無伴奏チェロ組曲で全国を回った年、一番最初の場所が神戸だった。神戸大学のホールで1番3番5番を演奏した時に関西勤務だった彼は聴きに来てくれた。その後元町の中華街でご飯を食べて色んな話をしたな。
ベートーベンのソナタを弾きに松山に行った時、その時彼は松山勤務で、また聴きに来てくれた。そしてロープウェイ街のバーで飲みながら散々夜中まで話し込んだな。
愛媛県砥部市の砥部オーベルジュに弾きに行った時に、そこのスタッフさんが
「キリンの丸山さんが仕事でいらっしゃって、今回は聴けないけれど、山本先生にくれぐれもよろしくとの事でした」
と伝えてくれた事もあった。

そんな彼が10月の半ばにこの世を去った。
10月の前半は旅の仕事が続き、一段落して病院に行こうと準備していて携帯を持ったら彼の奥様からのメールを見つけて亡くなった事を知った。

最後の最後まで必死に生き抜いた彼からは多くの事を学んだ。
10月に入ってから彼から届いた長いメールは何度も読んだ。
そして僕が勇気づけられた。
くじけた時はこのメールを読むよ。
お通夜で彼の奥様やご両親やお兄様と話し、涙が止まらなかった。
安らかに。
またいつか会えると信じてるよ。
7月にレッスンに来て、秋に弾くと言ってた曲をこれからも僕は弾いては君を思い出すよ。
9月の末に弾いた曲も、これからも弾くし、弾く度に思い出すよ。


本当にありがとう。