「ロマンティック」

昨日の安保法案の参議院での強行採決ももちろんだけど、僕を取り巻く環境には今、怒り、悲しみ、辛さ等々ネガティブな出来事があまりに多すぎる。
ロシアでは「ニシンは頭から腐る」という諺があるらしいけど、今の日本はそれがよく当てはまりそうな現状だし、それは日本の国という単位に留まらず、会社などの末端の組織にもそれが顕著で、頭から腐って行っている所にいる僕は八方ふさがりの状況でもある。


そんな中、明後日の定期演奏会のリハーサルは昨日から行われており、プログラムはブルックナー交響曲4番とモーツァルト交響曲39番。
指揮者はドイツに住んで40数年の児玉宏さん。
リハーサルは本当に素晴らしいもので、珠玉の言葉の連続だ。
児玉さんの目指す演奏は今のドイツやオーストリアのオーケストラが演奏するブルックナーよりも実はドイツ・オーストリア的かと思うし、基調になるハーモニーやバランスを重視して作り上げて行く彼の魅惑に満ちた音楽は、ハーモニーこそ音楽の全てだと思っている僕にはたまらない。


どこでも何度も言うけれど、僕はブルックナーが大好きだ。
当然この4番「ロマンティック」も大好きだ。
でも、めくるめく転調を繰り返すハーモニーを始め、3連譜の「3」の意味合い、そしてマエストロ児玉さんがおっしゃるブルックナーの人物像や音や響きをイメージすればするほど、「ロマンティック」という題名がそぐわない物だと思えてきた。
そして、現在僕を取り巻く環境を思えば思う程、実はこの曲、いやブルックナーの音楽にとてもこの環境は近いのではと思うに至った。
少しだけブルックナーの気持ちに触れられた気すらする。


そんな怒りと寂しさ、それに救いを求めるこの音楽に夢中になっている時、矛盾ではあるけれど僕にとって救われる時間となる。
演奏は職業であるし、練習が仕事の僕にとって、本番は全てを吐き出す時だとしても、こんな浸っていても良いのかと思う程今回のこのブルックナーの4番には身も心も差し出してる感じがする。


つくづく僕にとって、やっぱり音楽は全て。
苦しめられる事も喜びを運んでくれる事も、そして怒りや悲しみなどを忘れさせてくれる物だ。


しかしながら、このブルックナーの4番、「ロマンティック」とは思わないけど、心に暖炉を提供してくれる。
肝心な楽譜にはどこにも「ロマンティック」と書いていないけど、これも誰かが勝手に付けた名称なのか?