記憶

金木犀の香りを「金木犀の季節だな」と思う様になったのはいつからなんだろう?
視覚的な記憶、聴覚での記憶、味覚の記憶、臭覚の記憶、さらには昔使っていた楽器を触ったときの手の感覚の記憶等々、あらゆる記憶がある。
聴覚での記憶は何か曲を聴いた時にその曲をずっと聴き続けていた頃の周辺の記憶が蘇る。
色褪せないその曲とセピア色へと変貌する僕の中での記憶とのギャップにまたその記憶を思い出した今、という記憶が残って行く。


ウオーキングをしていて、どこのご家庭かはわからないけど、料理の香りがして来る時がよくある。
そのどこかわからない家庭の昼食を想像して愉快な気分になる事も多々ある。
ただ、なんの変哲もないお味噌汁の香りがして来たときは何故か切なく、もうすぐ家に帰らないと母親に怒られるんじゃないかという気持ちになる。
子供の頃の夕方暗くなるまで遊んでいた時の気持ちもそのお味噌汁の香りは運んで来てくれる。



何処の街でもそうだとは思うけど、繁華街を歩いている時は色んな匂いや香りに包まれる。繁華街独特の匂いだ。そんな時は大してその匂いや香りに敏感になっている訳ではなく、とにかく目的地に足を向けて早歩きになっているだけの事が多い。
今年、松本の繁華街の中の唐揚げ屋さんの前を通った時、その匂いから一瞬、愛媛の松山の商店街の揚げ物屋さんを思い出した。
21時過ぎに松山に赴任していたお弟子さんでもあるアマチュアチェリストとバーに行く約束をしていて、お酒も飲まない僕はバーに行く前には何か食べておかなきゃいけないととにかく空腹で何かを食べようと商店街を彷徨って歩いていた6、7年前。その時揚げ物屋さんが妙に良い香りをさせていたんだよな。

ぼんやりそんな記憶をいくつか浮かべながら僕はその松本の繁華街を抜けて歩いて行った。


その夜、今はその松山から本社に戻って数年になる彼からメールが来た。


昨日僕はその彼の入院する病院にお見舞いに行った。
彼との想い出をずっと思い出しながら病院に向かい、彼と会った。
彼との想い出はいっぱいある。彼が中央大学の学生だった時からだから、知り合って10年になる。
そんな話をしようかとも思っていたけど、彼の体調はそれを話すのに十分じゃなかった。
手を握りながら僕はこう話した。
「なぁ、何があっても俺の事忘れるなよ。俺も絶対に忘れないからな」
彼はうなずきながら手を強く握り返してくれた。
「また来るな」
と言って病室を後にした。


帰宅して、近所を歩いている時、金木犀の香りがした。
この香り、なんという切なく辛い香りなんだろ。
金木犀の香りを季節以外に結びつけて思った事はなかったな。


近々また病院にお見舞いに行く時はどんな季節の香りがしてるんだろう。