「ライン」

オーケストラ生活が25年にも及ぶのにこのシューマン交響曲第3番「ライン」を明日初めてコンサートで演奏する。何故か縁がなかったんだろうけど、今回でようやくシューマン交響曲は全て弾く事になる。
3年ほど前に「禿げ山の一夜」を初めて弾いて以来の名曲デビュー。
1番2番、そして4番の交響曲は何度も弾いたけど、それよりも3番は弾かれる回数は多い筈なのに。
巡り合わせとは不思議なものだ。


僕がまだオーケストラの仕事を始めた頃、それこそ定年がもうすぐというチェロの大先輩に、
「もう演奏していない曲はないんじゃないですか?」
と聞いたら
「それがな、モーツァルトの40番を弾いた事がないんだよ」とおっしゃった事を思い出す。



それにしてもこの「ライン」。
素晴らしい曲だなぁ。

音楽史バロックから現代までを一人の人生の歩みと仮定すると、このシューマンの「ライン」はまだまだ人生の本当の苦味や挫折を知らず、小さな辛さにくよくよしている中学生の頃か。
失恋、中間テストで悪い点数を取ってしまった、受験に落ちた等々の今思えば微笑ましくも懐かしい良い想い出が丁度この「ライン」のような気がする。
かすかにぶつかるハーモニーの何とも心地よい痛みはその淡い青春のハーモニーだ。
ラインと言うのは僕にとっては、人生という川。
まだその上流にいて、見果てぬこの川のエンディングを想像する若き僕自身を見るようだ。
今現在、僕は大海に注ぎ込む川の10キロほど前にいる。
川の規模も相当大きくなり、様々な街を流れて来てかなり水質も汚濁している。
そんな場所を流れる僕が今度は逆に遥か昔の上流を眺めている感じだ。
もっと川のエンディングに近い場所まで流されて上流を振り向けばブラームスなんだろうな。


シューマンの苦悩は書物で知るしか方法はないけれど、シューマンの音楽は音楽史の中ではロマン派に到達しきれていないと個人的には思う時がある。そこが人間臭くて好きなんだ。