門脇くんのハイドン

昨日、県立音楽堂でハイドンを中心としたプログラムの音楽堂シリーズの最終回だった。
その中でのリゲティの「ミステリー オブ マカブル」のソプラノの半田さんはリズムから音程までこれぞ完璧と言うもので、素晴らしい演奏だったと思う。

我々の仲間である首席チェロ奏者の門脇さんのハイドンのチェロ協奏曲1番は堂々たる真っすぐに曲を見据え、変な脚色もなく無駄なパフォーマンスもなく、本当にチェロの音楽をお客様に送り届けてくれたんだと思う。
そこが素晴らしいと思う。
今や、優秀で弾ける子なら小学生や中学生で弾いてしまう様な曲だけど、実は簡単なのでは全くない。逆にそれを音楽にする事がいかに難しいか、そして名演をなかなか聴く事の出来ない曲である事をここではっきりと書いておきたい。
概してパフォーマンスがない演奏は「大人しい演奏」「つまらない演奏」と言われがちの昨今、こういう真っすぐに楽曲にぶつかり、正攻法で演奏する若者がいる事に本当に嬉しく、そして今後の神奈川フィルの為にも本当に必要な人材であると誇りに思った。

門脇くんは昨日の精神的高揚やあの緊張する音楽堂での舞台での病的なほどの恐怖心から放たれ、あと数日で我に返るだろう。
そしたら賢明な彼は次の事を考え、さらに努力を続けて行くんだろう。
彼が師匠のビルスマさんから教えられた
「できるだけ、遅く上手くなりなさい!」という言葉を噛み締めながら歩んで行くんだろう。
僕が彼に先輩としてアドバイスを送れるとするなら、ビルスマさんと一緒で、ピークを60歳に持って行って欲しいという事だけだ。
それは僕もそれが目標でもあるし、そう生きて来た。
彼にも慌てずじっくり音楽に向き合い、そして技術を高め、神奈川フィルをこれから引っ張って行って欲しいと願ってる。当然彼はそれが出来る音楽家なんだから。

アンコールのバッハの1番のプレリュードはまさしく彼の言葉、彼の話し方だった。
あの年齢で「バッハを語る様に弾く」事は本当に難しい。
「いかに早く弾けるか」「思った様に個性的に自由に弾く」なんて事は正直誰にでも出来る。簡単な事だ。
それをしない為に血反吐がでる努力をするんだ。
お客様にバッハの言葉を語れてこそ演奏家と言える。
もちろん、バッハの言葉を語り続ければ人によって口調が違う様に語り方もそれぞれ違ってくる。
これが個性だと思う。でもまずは語る事が出来なければそれは何も始まらない。
こういう演奏をもっと若い人達は聴きに来るべきだと思う。
そんな素晴らしいハイドンとバッハだった。

彼と同世代の神奈川フィルの仲間、そして同世代の常任指揮者の川瀬さん、なにか明るいものを僕は見た。
今後の神奈川フィルには期待してる。
ベテランは彼らにはまだない言葉にできない事を伝えて行くべきだろう。

そして神奈川フィルに今一番欠けているのは、危機感だ。
公益財団法人にもの凄い努力と多くの方の協力で移行が出来たこれからという今年度、3月までに事務局員が8人辞めて行く。
既に5人辞めた。
この荒削りだけど有能な人達がいなくなったツケはかならず来年以降にどっとしわ寄せが来るだろう。
その危機感がない限り命取りとなる。

門脇さんを始めとする若い素晴らしい奏者が入って来て充実してきた今、こういう事態に何も出来ない自分が歯がゆく、本当に責任を感じている。

でも、若い人達、頑張って欲しい。昨日の様な素敵なコンサートが開催できるのだから。