練習をする事って?

今まで例えば雑誌だったりラジオだったり少なからずインタビューを受けて来たけれど、必ず聞かれる事の1つに
「1日にどれぐらい練習するのですか?」
という質問。確かにオーケストラや室内楽のリハーサルは練習をしているという時間ではないし、その時々に抱えている曲数や曲によってもかなり違うから答えるのには非常に困る。
で、いつも
「そうですね、6時間ぐらいは楽器は弾いているんじゃないでしょうか?」
と言ったりする。練習とは言わない事にしている。何度も書いたかも知れないけれど、僕にとっての仕事は「練習をする事」。


その「練習をする事」と言うのは何の為だろう?と考えていた。
「人前で恥をかかない為」
「良い演奏をしたい為」
「うまくなりたい為」
「ミスをなくす為」等々、いずれも違う。
それだけで果たしてそこまで練習できるのか?と言う事なのよね。

長い間考えて来たけれど、何となく自分の中ではその「練習する事」の理由がわかってきた。これは格好つけている訳でもなく、綺麗ごとでもないという事を信じて頂きたいのだけど、理由は「人の為」。

もちろん個人的に上手になりたいし、恥なんかかきたくないし、素晴らしい演奏なんかしてみたい。だけど、演奏家の役割はこのチェロという楽器の素晴らしさと300年前からある素晴らしい楽曲を多くの方に伝える事なんだよな。しかも出来るだけ正しく。そしてもし僕が多少でも正統的な事を知っていて、そういう演奏が出来るなら、それを若いチェリストに伝える事なんだよなぁ。そしてずっとその精神をつなげて行ってくれる事をも伝えなきゃいけないんだよね。

と言う事は必死に曲を勉強する事、楽器を練習する事というのは、出来るだけ正統的にチェロや素晴らしき偉大な楽曲、地球的な遺産を多くの方に知って頂く、という事が僕の主な任務であると思うのよね。
その為に練習する。ひたすら曲を見つめる。
結果的に自分の為にもなるんだろうけど、人の為に練習しなきゃいけないのよね。

とはいえ、人間、指紋や声紋が一致する事がないように、一人一人同じ楽器を使っても音は違うし、同じ楽曲を弾いてもやはり何かその人の特徴は出て当然だとは思うけど、最初からその個性を求めたり狙うとろくなもんじゃないとは思ってる。
ひたすら基本に忠実で、楽曲の王道を探す努力をしてそのうちこぼれ落ちる物が個性だと考える。
それを良いと思って下さる方もいらっしゃるかも知れないし、良くないと思われる方ももちろんいらっしゃるだろう。その評価はどちらにせよ、素晴らしい曲だ!と思ってもらえる為の努力を「練習をする事」と呼びたいし、「勉強する事」と言いたい。