師匠

一昨日のコンサートに突然師匠がいらっしゃった。
その師匠が来てると言う事を僕に伝えた人間は終身刑でも良いと思ってる。
当然、コンサートであるからどんな方がいらっしゃっても僕は自分がやって来た事を最大限に出すというのが僕のスタンス。
でも師匠と言うのはそうは行かない事を身を持って思い知った。


学生時代は僕は故井上先生、秋津先生、そして山崎伸子先生に習っていた。
秋津、山崎両先生には本当に厳しくレッスンをしてもらっていた。
毎回レッスンの度に体育会系出身の僕ですら半分涙ぐむぐらいの厳しさだった。
今から思えばこれが無ければ今はおそらくチェロを弾いていられないだろうと思うし、
心から感謝している。
もちろん褒めてもらった事など一度もない。
最大の褒め言葉としては
「殴ってやろうとは思わないレベル。また頑張ったら?」
だった。
「また頑張ったら?」という事が褒め言葉という背景には、
『まだチェロを続けていていい』という意味が含まれているからだ。

「もう、そういうベートーベン聴かされるのはうんざり、そういうチェロ弾きが一人でも多く世の中に出ない様にしないと。早くチェロ辞めたら?本当に迷惑だから」
何年も言われ続けたな。
でもレッスンでは今思えば本当に大事な事しか言われていない。


試験の1週間前、ボッケリーニのコンチェルトをレッスンしてもらってる時に、一度通して弾くと、
「私がソロのパートを弾くからオケの低音のパート弾いて」
と言われた。
(そんな。知らないよー)
心の中で叫んだけど万事休す。
「弾けません」と答えたら「じゃあレッスンにならない。バスもハーモニーも感じてない人間には何を言っても無駄」とレッスンは終わってしまった。試験前の最後のレッスンで。
必死にオケのバスパートを覚えて先生にもう一度だけレッスンをお願いしますと頼み込み、前の日にレッスンをして頂く事になった。
再びオケのバスパートを弾けと言われ、先生はソロのパートを弾いた。
「そんなバスしか弾けないからソロもあの酷さなんだ」と。
バスの弾き方を散々レッスンされ、試験前日のレッスンも終了。

そんな事が日常だったな。

その師匠が一昨日いらっしゃった訳だ。
つまらない事を考える物だ。
「ここはこうしちゃいけないと言われたな」とか「音の出し方はこう教わったな、それ僕今やってるのかな?」とか。

まあ緊張しない本番なんてあり得ないけれど、、完全に舞い上がって心と身体が分離してしまう程緊張したのは久しぶり。
とは言え、コンサートのあと、電話をくださり長々とあらゆる事を言って頂けたのはありがたかった。
しかも弦の種類から弓との相性まで事細かく、そして音楽についても。
師匠を超えたいと思って頑張って来たけれど、超えられないね。全てが。さらに上に進んでらっしゃるからな。

でも一昨日のコンサートは1つの答えが出たと思っている。
特にベートーベンはそうだ。
これを何か変えると言う事ではないけれど、ここから少し脱皮してみたいと思う。