中日ドラゴンズ

中日ドラゴンズの落合元監督の「采配」、そして森繁和前ヘッドコーチの「参謀」という本を読んだ。
これは根っからのドラゴンズファンの僕ですら驚きの本だった。

子どもの頃、いつからかは覚えていないけど、すでに中日ドラゴンズのファンだった。
帽子は当然ドラゴンズの帽子をかぶっていたし、当時活躍してた選手の背番号の入った下敷きや、
鉛筆を使っていたものだ。
小学校低学年の時、祖父に中日球場に初めて行った日を思い出す。
鮮明に覚えている。阪神戦で高木守道のホームランで3対1で勝った。
一塁側のポールの近くの内野席だったが、目の前にファールボールが飛んで来た事も覚えている。
野球はテレビ、テレビで中日が放映されない日はラジオで、本当に夢中になって中日を応援していた。

いつの間に愛知県の春日井市名古屋市で過ごした18年を遥かに超える30年東京に住んでいるが、
中日ドラゴンズを辞めた事はない。辞められる筈もないし、辞める理由もない。
東京に出て来てから始まったJリーグも、何故かグランパスのファンだ。
そこが不思議な所。
FC東京のファンになってもいいじゃないのか?
しかも味の素スタジアムFC東京の試合を観戦しに行っているのに。
だけど、ファンは名古屋グランパスなのだ。

死ぬまで愛知県人として生きて行くんだろうな。

僕が一生応援し続けるだろう中日ドラゴンズが安定して強かったのが2004年から2011年までの8年間だ。今年ももちろん諦めてはいないのだけれど、、、、。
その時の監督が落合監督だった。
強いチーム、優勝する事、勝つ事をひたすら貫いた監督だった。
口数も少なく、親会社が新聞社だと言うのにコメントも取れない監督は常に批判されていた。
名古屋に住んでいなかった為に、そこでの批判がどの程度だったのかは体感してないのでわからないけど、
週刊誌やスポーツ紙では批判はよく目にしていた。

でも僕は落合監督が大好きだった。最後まで。今でももう一度やってくれないかと思っている程だ。
そんな監督の本はかなり前に読んで、働く所のトップがこういう人だったら本当に最高だなと思ったものだ。
そして森ヘッドコーチの本を読んで、いかに落合監督が凄い人だったかを裏付ける話の数々は、益々僕の落合熱を上げるだけだった。

実は学生時代、先輩に連れられて西武球場に西武対ロッテを観戦しに行った事がある。
その試合でロッテの3塁手だった落合選手は審判に暴言を吐いて退場した。
僕はそのロッテ側の一番前の席で(実は球場はガラガラだった)退場していく落合選手を見送った。
丁度清原さんがデビューの年で、高校卒のルーキーが30本のホームランを打てるか!という頃だったな。

何を書いているかわからなくなった。

とにかく僕は落合監督が好きで、是非この二冊の本を読んで頂きたく思う。

僕の家から歩いて3分の所に落合さんの家があるのが自慢だ。
セブンイレブンで買い物をしている落合さんのご家族にお目にかかった時もあったけど、「サインをください」なんてとても言えず、深々とお辞儀をしただけだったな。
軽く会釈して頂いただけでも嬉しかった。