最初で最後の宮本文昭さんとかなフィル

かなり前だけど、宮本文昭さんのオーボエ協奏曲を伴奏した事はあるものの、
指揮者・宮本さんと神奈川フィルは初めてだった。
今年度で指揮活動にピリオドを打つと公言している事が事実になってしまうと、
昨日のコンサートが事実上神奈川フィルと指揮者・宮本さんとの共演は最後になる。


音楽の旅において1つのコンサートが終わると想い出になる。


そしてそれがインプットとして僕の身体に入り込み、熟成されてアウトプットされるまでにはやはり時間が必要だ。
日々行われる様々なコンサートも、忘れていくコンサート、記憶に残るコンサート、そして生きる糧となるコンサートと色々あり、全てが熟成されて行く訳ではない。


音楽の旅において1つのコンサートが終わると消え去る想い出も1つある。


昨日のコンサートは確実に生きる糧となるコンサートだった。
舞台の上での宮本さんとの言葉のない「ジョーク」
僕が憧れる宮本さんの歩いて来た道を追うのも舞台上だ。
そして舞台上でかわした言葉のない会話。

これはいつか僕の音楽の旅になにかしら決定的な影響を与えると思う。

舞台上だけじゃない。
ゲネプロでの宮本さんの言葉はやはり重かった。
もちろんその時におっしゃった言葉だけではもちろんないけれど。


ソリストファゴットの若き首席、ズッキーこと鈴木さんだった。
ちょっとしたカデンツァの後、うまくいかず、何度もやり直した部分がある。
宮本さんがおっしゃった。

「どういう風に吹いても良いけど、オーボエ奏者の僕と一緒に呼吸させてくれないかな?」

それは指揮がうまく合わせられなかったとかではない。
音楽は一緒に同じ空気を同じスピードで呼吸する事が大前提。
いくらソリストとは言え、それが出来なければ演奏家としては全く演奏家からは評価されない。
オーボエ奏者として数々の修羅場をくぐり抜け、オーケストラ、室内楽、ソロと世界にその音楽や音色を響き渡らせてきた男の重い言葉だ。
ソロだって、オーケストラの木管の4人のユニットだって、呼吸を共有出来なければダメなんだと、語った一瞬だった。
僕の隣で弾いていた、これから神奈川フィルを引っ張って行くもう一人のチェロの首席の門脇さんとゲネプロ終了後ご飯を食べに行くと、彼も同じ事を言った。
「さっきの宮本さんの一言、ものすごく多くのメッセージがありましたね」
と。
それに門脇さんはしっかりとメッセージを受け取っていた。

ああいう一言を受け取れるか、受け取れないかでその演奏家の将来は決まって行く。
僕が門脇さんの年齢の時、果たしてそう思えただろうか?

門脇さんにとっても、今後の生きる糧となるコンサートだったんだろうと確信している。

音楽の旅は孤独だ。
風の様に一瞬にして吹き抜けて行く素晴らしい音楽家の言葉をその孤独の中でいかにその一瞬でも友人にするか、それを宮本さんはいつも教えてくれる。
そして若き俊英達に置いて行った多くの遺産をいつの日か、またその後輩達に伝えて欲しい。
その為のまさしく一期一会の宮本さんとのコンサートだったんだから。