オーディション

先日、オーケストラでコントラバスのオーディションがあった。

既に結果も出ているので少しその事について書いてみたい。

どんなオーケストラにもオーディションに対してのルールと言う物が存在する。
それはオーケストラによって少なからず違うし、全く違うと思えるオーディションもある。
それはそのオーケストラの中でオーディションの度に問題が起き、それを改善して改善してと繰り返し、
その結果現在のルールに落ち着いているんだと思う。

ただ、公平である事、公正である事は言うまでもないけれど、それはルールが公平公正であるだけではダメなんだと思っている。
それは今回のコントラバスのオーディションだけではなく、前に働いていたオーケストラから神奈川フィルまで、オーディションに立ち会うと常にそう思って来た。

ドイツのオーケストラで働く友人からオーディションのルールを聞いた時に、さすが民主主義国家だなと関心した。
日本が民主主義国家でないとは言わない。
でも遥かにドイツは上を行っている。

我がオーケストラは無記名で○や×を書いて提出するのだけれど、そのドイツのオーケストラは挙手だそうだ。そしてお互いどうして○なのか、何故×なのかを徹底的に議論するらしい。
その中でもちろん○の人が×になる事もあるし、×の人が○になる事もあるだろう。
その責任を持って意見を言える事が重要だと思う
履歴書を見て「おお、コンクールで優勝してるのか」とか
「ずっとドイツにいたんだ、俺がいたイギリスとは肌があわない」とかではなく、
過去のコンクールなんてどうでもいい。
今、どういう演奏を目の前でしているのかが重要。
そして自分のオーケストラがどんな奏者を欲しがっているのか、コントラバスであれば自分はどんな響きを持った人が来て欲しいのか、和音の構成音の基盤になるベースラインをどう語っているのか?
とにかく明確な求める物が存在し、それがオーケストラのメンバー全員が高いレベルで共有している事が最も公平であるんだと思う。

これは個人的な気持ちだけど、履歴書なんて見なくても良いでしょう。
人間弱いから、母校が同じと言うだけで多少甘くなるもんだ。
外国に長くいたと言うだけで多分本場の音を出すんだろう、という耳で聞いてしまう。
ダメだよ、そんなの。今、目の前でどういう音楽をしているかだけ。
将来性とかってよく言うけど、そんなもん誰にもわかるわけないじゃん。
経済学者の予想を見ればわかるもんだろ。外れて恥も外聞もなく一年後にまた予測してる。
未来ではなく、今だよ。今どんな音楽をやってるかだよ。

場合によってはカーテン審査でも良いと思う。そして過半数を超えた人が次のステージに進めると言っても、過半数ってなんだ。
3分の2でも良い、4分の3でも良いと思ってるよと親友は言うけど、その通りだと思う。
それぐらいの高いハードルを超えて来た人こそ次の世代の人材をちゃんと選べる人なんだから。
とはいえ、今までもその過半数で素晴らしい奏者も入って来てくれたから絶対ではないのだけれど。

公平公正なんていうのは、素晴らしい奏者をほとんどの人が素晴らしいと言える耳を持つ事からようやく始まるんだよ。

「政治家のレベルは国民のレベルと乖離しない」とはとある哲学者が言ったけど、それと同じ。
何回、何日をかけてもいい、素晴らしい奏者を選ぶんだ!という気迫がないと僕は結局ダメだと思う。

ただ言える事はオーケストラスタディの課題曲をソロの曲より軽んじた人は間違いなく落ちているという事だ。逆にオーケストラスタディが素晴らしく、過半数を超えられずに次に進めなかった人がたくさんいた事が本当に残念でならない。