腕時計

普段、よっぽどの事がない限り東京でショッピングなんて言う事はない。
服なんかはここ10年以上渋谷の同じ店でしかもバーゲンでしか買わないし、
靴はスニーカーしか持ってないので、必要となると下北沢に買いに行く。

心の余裕がないとショッピングなんて行けないものだ。
今度休みがあったらゆっくり新宿を歩いてみたいとか、
下北沢の小さなお店をゆっくり見て回りたい、とかはずっと思ってる。
でもそれがなかなか出来ないでいる。

あれほど好きだったゴルフも本当に行かなくなってしまった。
ゴルフに行ける日がなくなった訳ではない。
ゴルフに行ける日はチェロの練習をしないと不安で仕方ないのよ。
昔より全く勉強に時間がかかるようになってしまった。
経験と言っても、例えばバッハの無伴奏の1番のプレリュードを想像して頂きたい。
コンサート、或は家で練習していると、今度はここの音がかすれた、この音程がやや高かった、
この音程が低めになってしまった、音のつながりが悪い、ハーモニーの連続した美しさがない、
等々、いろんなダメだしをして行くと、全部の小節に問題を抱えた事になってくる。
そうすると、全ての小節に失敗の経験を持つ事になる。
それが恐怖なんだな。
それをクリアにしようと思うと、とてもショッピングとかゴルフに行く気分にならなくなってくる。

年齢を重ねてどんどん堂々とした演奏家になって、というのが当初の計画だった。
それがどうだ。
全くの逆で、どんどん怯えて生きているようになってしまった。

ところが、東京を離れて仕事をしていると、ホテルではそんな夜までチェロを弾いている事も出来ないし、当然その街をブラブラする事になる。

その前に、僕の20代からずっと好きだったのは腕時計。
少しのお金があるとそれを頭金にして身分不相応な時計をとにかく買っていた。
いまだに好きだし、最近でこそ高額な時計を買う事はなくなったけど、こよなく腕時計は愛している。

最近京都にちょくちょくお邪魔しているけど、ここ1年の間に京都でそこまで高額ではないとは言え、
2つも腕時計を買っている。
そんなつもりはなく店にはいり、しかもそこは時計の専門店でもないのに、目に入ってチラチラ鑑賞しているうちに店員さんと時計トークになり、買わされているのだよ、いつのまにか。
というか、買ってるんだよね。自分から。
その時計はもちろん自分では良いと思って買うのだけれど、買い過ぎだろ。

時間があればあったで街を舐めるように歩き回り「ついつい買い」をしてしまう事と
東京でいつかゆっくり買い物したいなと思い続けるのとどちらがいいんだろ。

まあどっちでもいいか。

でも、経験上、京都は街の良さに買わされる危険地帯だと思っている。