ブラームス・ダブル

学生の時、ブラームスソナタ室内楽のレッスンを受けていると必ず
「20歳そこそこではブラームスはわかんないだろうな。しょうがないよ」
とよく先生に言われたものだ。
それが一つの免罪符として生きてきたのは事実で、まだまだ理解は難しいよな、と思いながら生きてきた。
多くの人から多くの事を教えられ、読み、考え、そして知識となった事は喜ばしい事かもしれない。
でも、ハッと気づくともうブラームスの晩年が見える年齢に自分がなっている事に驚愕し、ショックを受けている。
しかも土曜日、日曜日に弾くブラームスのドッペルコンチェルトはブラームスの晩年の作だ。
その年齢に近づいている僕は昔先生から言われた事が正しいとすれば「わかってる」はず。

もちろん共感する事はいっぱいある。
そのメロディー共に刻々と変化し続ける永遠のハーモニーに涙する事だってある。そう、共感は出来る。
でもそれを演奏するとなると僕の何を何処に持っていけばいいのかがさっぱりわからなくなる。
慈しむように一つ一つの音を弾いたところでブラームスのメセージは伝わる筈もなく、この年齢になった事に対しての僕の苦悩はまた別のところにあったりもする。
今日のオケ合わせで副指揮者のNさんが
「裕康さんらしいドッペルです」と多分褒めてくれたんだとは思うけど、
これじゃああかんと心が折れた。彼に文句を言っているわけではないのよ。
素直な感想を言ってくれてありがたいのだけれど、それを目標にしてなかったのよね。僕のブラームスなんて、一生口にできないわ。
とすると演奏ってなんだ?という所にまで戻らなきゃいけなくなる。
それを考えてもいるけどわからない。

でもこの曲がいい曲である事は伝えたいな。
得てして一人よがりになりやすい冒頭ももちろんだけど、全楽章に渡り、悦に入る演奏だけは避けたい。

これだけ悩みが深いとそりゃ体調もいい訳ないよな。