指揮者

昨日、東京文化会館の大ホールでMAP'Sの公演があったので、宮本さんの事を少々書きたいと思う。


僕の20数年のまだまだ浅いオーケストラ人生の経験から思うのは、僕は指揮者の印象は最初の1分でもはや決まってしまうんではないかという事だ。
勝負ではもちろんないけど、その1分で勝負は決まっている。

リハーサルの時に座って指揮をされる方、何時間も立ったままで指揮される方と当然いらっしゃる。どちらが良いという話ではないし、立っているから尊敬するとか座っているいるからダメという事でも全くない。
これは本当に個人的な感想だけど、何故か僕が尊敬する指揮者の方々は必ず立ったままリハーサルをされる。
リハーサルと本番では、もちろん僕ら弾く方も何かといろんな面で違うけれど、小澤さんは当然の事、宮本さんや小泉さんのあの集中力や本番となんら変わらない気迫には常に圧倒される。猛禽類の目で見られると僕は金縛りにあうほどの力だ。

小泉さんが僕に言った事がある。
「座ってリハーサル?考えられない。100人の人間の先頭に立つ人間が座って何か伝えられるか?少なくとも60歳になるまで、つまりオーケストラの人が全て年下になるまでは絶対に座らない」と。

宮本さんも座った所を見た事がない。
リハーサルが始る時間までは何かと冗談を行ったり軽口を飛ばしているけど、そこから指揮を振り始めるときのスイッチと言うのが凄まじい。
それに完全に連れて行かれるのだ。
多分、座ってる指揮者に、そのスイッチが見られないのかもしれない。

つまり、オーケストラが緊張に包まれるその「スイッチ」は指揮が上手い下手でもない。その人そのものなんだと思ってる。
その指揮者が歩んで来た人生、その影や背中を追いかけようと必死になるとき、僕は確実に連れて行かれる。


昨日のステージ上で自分に聞いた。

僕は組織の上に立てるような人間でもない。かといって無頼派と格好つけてカッコ良く生きる勇気も多分ない。そしたらどうする?
この人だ!と思える大将について行くしかないんだろ?
宮本さん、この人の為にこのホールで裸になれるか?
この人だ!という人の中に宮本さんは入るのか?

答えはすべてYESだ。

当然追いつける筈の無い宮本さんの音楽家、そして人間。でも近づけるなら裸になる事ぐらい簡単な事だ。

そんな風に思える指揮者や音楽家に多く出逢いたい。