建長寺

東京に住みながら「鎌倉」に行った事は何度かしかありません。
ゆっくり散策したいと思ってはいるのですが、それが叶う事はまだありません。
それこそ時間は自分で作る物で、その気になれば可能なんでしょうけど、やはりその想いが弱いのか、それを実現させるまで至っておりません。

そんな中、鎌倉の「建長寺」の本堂での演奏をさせて頂きました。
大変立派な建造物でありまして、その時代や風雨に晒されて来た重みは、六本木ヒルズスカイツリー等々の建物の立派さとはちょっと意味が違う様に思いました。

一昨年ヴァイオリンの石田さんがそこでソロの演奏会を行ない、もちろん好評で、今年はデュオでと言う事で僕も弾かせて頂きました。
曲は
モーツァルト・ヴァイオリンとチェロのための2重奏 変ロ長調
カサド・無伴奏チェロの為の組曲
イザイ・無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番
ラヴェル・ヴァイオリンとチェロの為のソナタ
でした。


石田さんの演奏には華がある。あのステージでの動き等々は僕が決して真似出来ないものです。チェロの演奏家でも座って演奏するとは言え、凄く動きがある方も沢山いらっしゃいますが、僕には到底真似出来ないのです。従って僕には華など無い。石田さんの場合その演奏とその動きにより「魅せる」演奏となっている。いらっしゃったお客様には目からも耳からも『石田』という情報が満載だから当然魅せられるファンも増えるし、いつもコンサートは満席です。
すごい事です。憧れるんだけどな。

と言って、僕はその「魅せる」演奏が出来る様に努力しないのか?という事に対しては「しないと思う」が答えです。
出来ないと言う事もあるし、性格上それをどこか避けてしまっている様な気もするのです。
それが出来る方々を羨ましく思ってるんだよな。
でも僕は出来ない。それを目指してみた事も昔ちょっとありましたが、やはり僕には向いていない。それは僕が1番良く理解していると思われます。

ではどうするんだ?
それが出来ないとなると、地味でも何でも「聴かせる」演奏を目指すしかないのよねぇ。では「聴かせる演奏」って何だ?
それは作曲家の書いた事をより正確に紹介する事。そしてそのあらゆる自分を排除した中からこぼれ落ちる一雫の個性、これが僕の演奏であってほしい。
そしてその中で、自分の使用する楽器の能力を最大限引き出して最高の音である事、それしか残された道は僕にはないと思われます。
それしかと書いたけど、それがいかに難しい事であるかは理解している。
その為に練習する事が僕の仕事であるのだから。
ビルスマやシュターカーの様な「聴かせる」演奏は1番上に作曲家がある。それが凄いと思うんだよな。あらゆる経験をしてそんな演奏家になりたい。


建長寺の本堂は全て畳で残響は0であったし、素の音が全て聴こえてしまうという事もあり、非常にタフな経験であった。
でもこういう経験がまた1つ何かを僕にもたらしてくれたのであれば嬉しい。
こんな経験の結果は数年後にしか出ないのが待ち遠しい。