middle age crisis

今日は父親の誕生日だ。
76歳だと思う。

母親が亡くなった後、よく一人で頑張って生活していると思う。
電話をしても3分ぐらいで切る事が多いけど、なにより元気でいてくれる事が僕の喜びでもあり、安心でもある。


という僕。
7月の終わりぐらいから首を痛めたという事もあり、なかなか気分が晴れない。
それと同時にちょっと前に同じオーケストラの友人が
「俺もあと何回『第九』を弾けるんだろう」
と言った言葉がずっと頭から離れず、首をおかしくしてからは、そんな事ばかりを考え込む事が多かった。
サイトウキネンの時に尊敬する原田禎夫さんにそんな事を話した事がある。
「それさ、凄いよくわかる。アメリカでもmiddle age crisisって言ってさ、俺なんかその頃は本当に悩んだよ」
と、彼の話を沢山聞き、そのおかげで少し気が楽になった。


将来楽器が弾けなくなったらどうしよう、とか仕事が無くなったらどうしようという事ではない。
残りの人生をどう生きるかについての深き悩み。
考えて考えて考え抜くといつも(結局あとどれぐらい人生が残っているんだろう)という所に行き着いてしまう。
結局『死』という物との距離が気になっているらしい。
若い頃は、「なんか僕だけ死なないような気がする」という何の根拠もない、しかもあり得ない明るい妄想を持てた。
現実を知り、自分の限界の一片を知る事によって、チャレンジが遠のくような気がする事もある。でもまだやりたい事、やらなきゃいけない事は沢山あるし、夢もある。


今の自分のまま、25歳ぐらいに戻りたいと思う。
でも叶えられないし、年齢は全ての人に平等だし。


政治について、世界の歴史の流れ、そして多くの哲学者の言葉、そして芸術家の言葉や最後の言葉を本で読んで来た。


現時点で答えなど出ていない。


ただ、僕の今までの人生、音楽という道をずっと運転してきた事だけは事実。
もちろんエンストもしたし、エンジン、タイヤ、ブレーキパッドも交換もした。
車も買い替えたし、昼も夜も走ってきた。ただ、道だけはルート66の様に一本道だった。脇道にそれてしまった事もあるけど遠回りをしてその道に戻って来る事が出来たりもした。多分この道、ゴールなどないんだろう。

どんな世の中であれ、どんな国であれ、そこで立派に生き抜きたい。
その音楽という道を行ける所まで走りたい。
その一歩として、今日もスケールの練習から始め、練習をしようと思う。
練習こそ僕の仕事だから。


親父、誕生日おめでと。
親父もこんなmiddle age crisisをくぐり抜けて来たんかな?