28年

昨夜、実にちゃんと数えると28年ぶりに同級生2人と食事をした。
高校時代の同級生。
今年の4月にコンサートに来てくれた時が28年ぶりの再会だった。
そして今年中に1度飲みに行こう(僕は飲めませんが)という事を約束していたけど、そのコンサートに来てくれた2人のうちの1人が10月1日をもって北海道に転勤をするという事になり、急遽壮行会を開いた。


帰り道、28年会ってなかった友人に再会し、また28年後になったら僕は生きてるのか?と思ったら急に切なくなった。
28年って一言で片付けられない物がある。当然だけど。


僕はそういう付き合いを放棄してきた訳ではなく、大学から東京に出て来てある意味必死で、無我夢中の毎日の中、そのチャンスに巡り会わなかった。
彼らと話していると懐かしい名前がポンポン飛び出し、その都度その飛び出した名前に関する思い出がじんわりと蘇った。


1人の人間が生まれて立派な社会人になるだけの28年という期間、僕もそうだけど、彼らもまた凄い大変な時間を過ごし、そして今がある。
それに彼らは立派な社会人として、また僕にはその偉さはわからないけどちゃんとした肩書きを持ち、話している彼らそのものは基本全く28年前と変わらないけど、立派になったんだなぁと少々恥ずかしくなった。


2人と会っただけでかなりの思い出を埋める作業が出来たと思うけど、同窓会のような事をやったらもっと埋まるんだろうな。
高校は普通科で硬式テニスに明け暮れていた。

一人の友人が言った
「ひろやす、お前が1番最初にヨネックスのRー3というデカラケを買ったんだよな」

彼が主役の人生という映画の中の「高校編」では僕は脇役として登場して彼の記憶にもしっかり刻まれていた。でもその後28年間僕は彼の人生の中からこつ然と姿を消し、再び脇役として登場した。
それは昨夜の彼らが主役の人生という名の映画の中では僕はそうだろうし、僕の人生のという映画の中でも彼らはそうだ。

そんな単純でしかも複雑なからくりで彩られる僕の人生、もう一度「ガキ編」「中学編」「高校編」の脇役達と会いたくて仕方が無い。
そして僕の人生、どれぐらいが過ぎたのかはわからないけど、これからは未来も大事だけど、過去にも焦点をあてたい。なぜなら、今があるのは確実に高校生までがベースになっているに違いないから。
その遠い過去の脇役達と会い、僕がどうしてこういう人生を歩む様になったのかの原点探しをするにはそろそろいい年齢になったんじゃないかなとも思う。

彼らは本当に立派な社会人だった。立派な社会人に僕はなれる事はないけど、もう少し社会に貢献できる事をしたいと強く思った。