指揮者・伊藤翔さん

今年3月まで神奈川フィルで副指揮者を務めた伊藤翔さんを迎えての定期演奏会が昨日終わりました。

ウェーベルン管弦楽の為の6つの小品」
リヒャルト・シュトラウス「ホルン協奏曲第2番」
ブラームス交響曲第2番」

という堂々たるプログラム。というか堂々としてないプログラムなんて無いのだけれど、とにもかくにも難曲でした。

当然音楽家ですから、結果で判断される事なんでしょうけど、その結果については後で書こうと思いますが、僕が立派だったと思うのは、3日間の10時半から16時のリハーサル、全ての時間を使い切ったという事です。
もちろん時間を全て使い切るという事だけが立派じゃない。
ダラダラと時間までやられた時ほど時間が無駄だと思う事もないですから。

彼の中で個人的にうまくいかなかった事もあったんだろうと推察するけど、あれだけ音楽に必死で、膨大な勉強量、そして正面からぶつかっている彼を目の前にして
僕は兎に角彼の欲する音楽を形にする努力をしようと思った。
その結果をとにかくお客様にお届けしたかった。

彼が悩んで悩んで悩みぬいていた3年間をずっと見て来た。
そして不調に陥った時も知っている。
彼とは意外にも多くの話をしたけど、ほとんどが音楽の話だったな。
僭越ながらアドバイス出来る事はした事もある。
僕が同じ様な年齢の時、これほど苦しんだのかと思うと頭が下がった。

そんな彼がステージ上で渾身の指揮をしている。
僕はブラームスの2番の最後のページにさしかかった時、彼のこの3年間や、自分のこの曲への想いとが相まって泣けてきた。というよりじんわりじんわりと落涙。

音楽は全ての人の物。誰の物でもない。
ある一定のレベルさえ超えていれば後は「好き」「嫌い」だけで、「良い」「悪い」ではない。僕は基本、彼のブラームスは「好き」だったし、真っすぐと前を見据えた中にもいろんな想いが垣間見える彼の人間そのものがやはり音楽に表れていたと思う。音楽はその人のすべてが出てしまうから怖い。
その中、彼は荒波を乗り越えた。
素晴らしい舞台だったと思う。
立派にその船長を勤め上げた。


終演後、彼は僕に「すみませんでした、4楽章の終盤どうして良いのかわからなくなってグラグラしてしまいました」と言った。
そんな事は僕は思わなかったし、もしグラグラしてたとしても僕が落涙し始めた所はそのあたりからだ。
しかもそのグラグラが彼の成長した「幅」なんだと思う。

指揮者に限らずチャレンジを続ける若い方々を応援していきたい。
僕には力添え出来るような事はないのかも知れないけど。

伊藤翔さん、良く頑張ったね。
立派だったよ。

良い指揮者になってくれ。
そして素晴らしい人間になってくれ。
そして僕が年老いた時に、一緒にコーヒーでも飲んでくれ。