松本 8

昨夜最後の演奏会の後、松本を後にした。

毎年感じるこの寂しさ。
そりゃそうだ。1ヶ月兎に角生活を共にする仲間がいて、それを支えてくれる松本の方々がいて、そして「さようなら」をする訳だから。

1ヶ月いると、そこでの生活、ルーティーンが出来上がる。
何度も書いたけど、僕はまず朝起きるとお風呂に入り、すぐタリーズ・コーヒーへ。そして新聞や本を読みながら珈琲を飲む事から始る。
その後はリハーサルの始る時間や演奏会の時間によっては変わってくるけれど、この朝の珈琲の時間だけは1日も休む事なく行なわれた大事な大事な儀式だった。

これもしょっちゅう書いたけど、今年は頸椎性神経根症というものになってしまったので歩く事もままならず、松本に着いて初めての朝は「兎に角あのタリーズまで歩こう」という所から始った。
ホテルを出て50mも歩かない所で痛くて歩けず、何度もホテルに引き返そうとも思ったけど必死でタリーズまでたどり着き珈琲を注文した。ホテルからタリーズまで僅か2分。歩けなかったなぁ、その距離が。
毎日タリーズまで歩いて行く間にその日の身体の状態を知るという重要な日課だったのよね。

ブログにその身体の事を書いた事もあり、タリーズのスタッフの方に「お体の具合はいかがですか?」と聞かれ、何だか恥ずかしくも嬉しい瞬間だったなぁ。
一ヶ月の滞在中で悪化こそしなかったけど、なかなか回復はしなかった。でも今は一応の生活はなんとか出来るようになっているから多分回復しているんだろうね。

僕は「音楽の力」というとてつもない存在にも支えられた。
そのタリーズで珈琲カップを右手で持つ事も出来なかった僕がオーケストラでの長いリハーサルや本番でチェロを弾くなんて自分でも考えられない事だった。
そりゃ、仕事として行った訳だから、弾けないのであれば用は無い。
唯一その痛みと痺れから救ってくれたのは音楽への集中だった。
リヒャルト・シュトラウスオネゲル、ベートーベン、プロコフエフ、彼らが作った偉大な作品にひたすら頭を下げるだけだ。

親友はそのオーケストラのリハーサル以外での私生活を全て知っている。
多分「彼は弾くのは今回無理だろう」と思っていたと思う。
笑っても咳をしても激痛、激痛が治まるまでしばらくかかるし、ヒゲも剃れない、歯磨きも出来ないから電動歯ブラシを買うし、お箸が使えないから麺類も食べれない僕を見てた訳だし。

(続)