宮崎国際音楽祭 3

音楽祭が終わった。

毎年、素敵なアーティストが宮崎で演奏して大いに刺激をもらって帰るのだけど、今年は例年にも増して大きな刺激を受けて帰京した。

一昨年度肝を抜かれたジュリアン・ラクリンは2年前より一回りも二回りも大きな存在になっていたし、ピンカス・ズッカーマンはもはや手が届かない所に行ってしまわれている、そんな感じだった。

僕はバイオリンの細かいテクニックについてはよくわからないけど、バイオリンの友人達はしきりに「去年のズッカーマンと全然テクニックを変えていて、神がかっている」と言っていました。
ここにその細かな事を書きたいけれど、書きようがないのが残念です。

個人的には原田禎夫さんにちょくちょくレッスンといいますか、いろんなテクニックについてアドバイスをもらい、それは今後の僕の努力の材料でもあるし、ここを乗り越えると僕も少しは何かここ5、6年悩んできた事から抜け出せる気がする。

姿勢の先生に教えて頂いている事、自分が悩んでいた事、そしてズッカーマンや原田禎夫さんにアドバイスを受けた事、そんな点と点がだんだん繋がって来た気がする。もう少し頑張ればこれが線になると思うし、自分でも期待している。

今年の宮崎は大変タイトなスケジュールではあったけど、実りの多い10日間だった。この年齢になってくると、まだ30歳そこそこの若い人達と同じ様に過ごしていると必ず身体が壊れるので、かなりそれは気をつけた。
結局困るのは自分だし。
禎夫さんにも「裕康も、もうそろそろ弾き方とか身体の事を気をつけなきゃいけない年齢だからな」とも言われましたし。
でも徳永音楽監督ラクリンの元気さにはちょっと考えられない。凄い体力。
体力がある事も演奏家には重要な事ですな。



それにしても宮崎に行くと本当に多くの方にお世話になる。
全ての方々に感謝したい。