稲葉旅館物語 3

まあ何せその当時はこの東京に住めばいつかは坂本龍一さんに会えるんじゃないかと思っていた。
で、僕はチェロではなく、作曲とかもやってみたい、指揮者もしてみたい、でもチェリストにもやっぱりなりたい、そんなまあ17歳の甘ったれた希望を稲葉旅館で思い浮かべていた。

その入試の最中に18歳の誕生日を迎え、しかもその日は不得意なソルフェージュの試験の日で、もの凄い雪が積もったのを覚えている。
寒かったという記憶はそんなに無いのだけど、雪には参った。

そのソルフェージュの試験は全く出来ず(こりゃ落ちたな)と思った。稲葉旅館に帰って来て、びしょびしょになった靴を電気ストーブで乾かしていたけれど、そのうち忘れていたらビニールの部分が溶けて穴があいてしまった。
それを見ながら、やっぱり今年は合格しないと確信した。その穴の空いた靴をもう一度履き、新宿の駅の方へと歩き、しばらく彷徨った後、落語を見た。

次の日の小論文はちゃんと書けたのか書けなかったのかも覚えていない。
そして面接を残すだけだった。
その面接の前日、現在偶然同じオーケストラにいる大町くん、読売日響にいる宮内くんなどなど、同じ受験生に誘われ、飲みに行った。
上野だったと思う。
まさか最初の就職が上野にあるオーケストラであることなど知る筈もなく、飲めない体質で未成年なのにウイスキーの水割りなんかを飲んだ。
その時、僕が吐いた暴言を彼らは未だに覚えていて、未だに言われる。
それはそれこそ入学したらという前提の話の中でコンクールと言うものを受ける受けない、という話の時だったそうだ。
「あのさ、コンクールにしたってオリンピックだって、一位じゃないと意味ないよ」とのたまったらしい。

そしてそのビックマウスが入試に落ちたんだからそりゃ語りぐさになるよな。
当然、その年の入試は失敗。浪人生活を送る事になった。

だけど、あの稲葉旅館で一人で過ごして一人で妄想し、一人で落ち込んだ10日間は本当に今でも覚えている事が多い。

自慢でもなんでもないけど、その当時小規模な室内オーケストラに入るという夢もオーケストラMAP'Sという室内オーケストラで毎年何回も演奏会をして今日などはCDを制作している。坂本龍一さんとは坂本さんの曲を坂本さんのピアノで共演するという信じられない出来事もあった。
作曲もしてみた、指揮者もやらせてもらった。
あの稲葉旅館で若き僕が精一杯背伸びして妄想して夢見た事は一通りできたのかも知れない。
それでも25年がむしゃらに生きて来てやっとだったな。
この先、どうなるか全く想像もできないけど、少しでも前進出来たらと思う。

新宿という街に行く度に、18歳ぐらいの若者を見ると稲葉旅館にいた頃の自分とダブらせてこう言いたい。
「少なくとも、今見てる小さな夢は頑張れば出来るよ」と。
大きな夢なんて知識やそれなりの経験がないと見れないものだと思う。