「絆」

今年の漢字が発表された。
「絆」
だという。
清水寺にもの凄い多くの報道陣が陣取って、テレビのレポーターは
「そこまで寒い訳ではありませんが、これから発表されるという緊張感も手伝って空気は張りつめています」と言っている。
でも発表の14時から遡る事2時間、12時前にはtwitter上ではもはや絆という事は周知の事実だった。
それをテレビやレポーターが知らなかった事はあり得ないし、何だか茶番だったな。わざわざスタジオ内でコメンテーター達に予想を書かせたりして、とんだ小芝居を見てしまったようだ。


そんな事はどうでもいい。
生放送!という音楽番組に録画を挟み込み「演出の範囲内だった」と本気で言えてしまうテレビの事だ。何があっても驚かない。


「絆」
圧倒的な差でこの文字に決まったそうだけど、僕はなんか素直に「なるほどなぁ」とは思えなかった。理由はうまく書けないけど、感覚的にそうは思えなかった。確かに考えられないほどの震災に見舞われ、日本中が1つになってなんとか手を差し伸べようともしていただろうし、被災地では手を差し伸べ合っていただろう。そしてこれかもこの「絆」は必要だろう。

でもどうだろう。
原発推進の方々と反原発脱原発の方々ではまっ二つに割れ、誹謗中傷は激しさを増している。福島から他の県・地域に避難する人は地元からは攻撃の的になり、家族内でも避難するしないでまっ二つになっている人達を知っている。
どんどん「絆」が崩壊していく方向に向かっている様に思えるし、むしろ分断が激しさを増している気がする。
再び、我々日本は「絆」で復興していこう!というスローガンなら理解出来るけど、今年を象徴する漢字としての「絆」はどうしてもしっくりこなかったな。


じゃあお前の考えた字は何なんだ?
と言われたら、僕は「怒」だと思う。
本当に多くの事からこの「怒」に行き着くのでここでの説明は避けるけど、「怒」。そして2位は「命」ですかね。


安倍元首相が首相の時に「首相にとって今年の漢字は?」と質問され、「変化ですかね」と答えて、インタビュアーが慌てて「すみません、漢字1字でお願いできますでしょうか?」と言われると「あ、あ、そうだな。責任ですかね・・・」と答えたのは有名な話。


こんな時に来年生きていらっしゃたら100歳を迎えた僕のチェロの師匠、故・井上頼豊先生に今年はどんな年だったのでしょうか?と聞いてみたかった。
何でも質問すれば答えが返ってきた。それも的確に短く。
亡くなられて10数年経つけど、育てて下さりあらゆる分野の事を教えて下さった師匠と僕の「絆」は未だに続いている。