いわゆる第九

突如そんな気になり「第九」を改めて聴いてみた。
しばらく放心状態になった。

どうかな、弾いた回数は100回は超えてると思うけど、生で聴いたのは数回。CDでは遠い昔に聴いた事があったけ?という程度しかない。

op.131を10月の始めに演奏して以来、どうもこのベートーヴェンのいわゆる後期に属する作品に取り憑かれてしまっている。

他の曲ももちろんだけど、第九も例にもれずベートーヴェンの頭の中で兎に角最初にこの曲は鳴り、そして初演で初めて人類が耳にした。その時はいまだかつてない拍手と歓呼の嵐が巻き起こったと言われているみたいだけど、当時の人達は凄い感性を持っていたんでしょうね。

今のお金で23000円、ベートーヴェンはこの初演の時に手にしたらしいけど、原発の維持に何兆とこれから使うのなら、まずは日本では毎年夥しい数の演奏があるこの第九の作曲者のベートーヴェンに10兆円ぐらい払っても払い過ぎではない。
それどころか、仮に宇宙人がいたとして、何か地球上で人類が発明した最高の物を紹介するのであれば、この第九でも良いと思う。もちろんベートーヴェンの他の後期の曲でも構わないけど。

どうしてこんな曲を残してくれたんだよ!
そう叫びたい心境でもある。
これが聴けなくなると思うだけで死ぬのが怖くなる。

あと僕は何回人生で第九を弾くのだろう。
弾く事は幸せな事であるのは間違いないけど、充実した第九にする為に3年ほど弾くのをやめようかな。

10回のリハーサルを取らせて頂き、僕の思う様に1度第九を指揮してみるのも夢ではあるな。
第九は何故か、最後の音を弾き終わった瞬間に『ぶらぼー』が許されているけど、実は僕は許していないんですよね。

久々に第九を聴いて、いろんな想い出が走馬灯の様に駆け巡ったな。
多くの指揮者でやりましたしね。
感動したのに、何故か哀しい気分の秋の夜。