ロッシーニとシューベルト

明日はみなとみらいホールの小ホールでロッシーニの弦楽の為のソナタとチェロとコントラバスの為のデュオ、そしてシューベルトの鱒を演奏する。

あいにく雨みたいだ。
でもあのホールは駅から傘をさす事もなくホールに到着できる。
お客様にも非常に嬉しい事だろうし、特に雨の日は濡れた衣服でホールにいらっしゃる事もないので、演奏家にとっても嬉しい。

弦楽器は湿度に敏感すぎるほど敏感。
湿気が多いとどうしても音が重く感じる。そして何か音に伸びがない様な気がするために、変に力んでしまいがちでもある。
チューニングも安定しない為にいろんな事が気になるのが雨の日の演奏会。

それがお客様が濡れて来ないというだけで全く違ってくるのは本当にあり難い。

ロッシーニは30歳そこそこで作曲する事を辞め、後は印税で悠々自適の生活を送った人。グルメ人間として残りの人生を美味しいものを食べる事にすべてを費やした様な人らしい。ロッシーニ風という料理も沢山のこされており、そちらの功績も有名である。
一方シューベルトも30歳そこそこで作曲を辞めざるを得なかった作曲家である。
理由は「死」である。その若さで亡くなるとは、無念の程もいかほどだっただろう。
とは言うものの、音楽史上、類い稀な美しいハーモニーとメロディに僕は常に横にいて欲しい作曲家の1人である。

今年の震災の直前にも僕はこの鱒を演奏した。そしてすっかり変わってしまった日本で再び鱒を演奏する。
僕の鱒の演奏の何かが変わったかもしれないし、変わっていないのかもしれない。それはわからない。
でも、いろんな事が落ち着いた、又は音楽をやはり良い物だと感じ始めたのは7月ぐらいで、それまでは震災のショックから立ち直れず、無力感の毎日だった。
でもまだ福島第一原発の終息は先が見えない。
本当の事を知りたいけど、僕らは知らされていない。
自分で自分を守らないとダメな国になってしまった。
ガイガーカウンターを買い、来週には届く。
いたずらにいろんな所の線量を測定するのではなく、生活の道筋を見つけたいと思う。
ロッシーニシューベルト
どちらももの凄い作曲家だったとは容易に推測出来るし、どちらも難しさはモーツァルト的。

雨が降ろうと、湿度が高かろうが、線量が増えようと関係ない。
良い音楽をしたいと思っている。

チケットは完売。ただただお越し下さる方々に感謝するだけである。