ベートーベン op.131

昨日、JTホールでのMAP'Sのコンサートが終わった。
ブリテンのシンプル・シンフォニーとベートーベンのop.131の2曲。

ベートーベンのop.131は個人的には初演。
衝撃的な曲だった。1回弾いたからと言って何か納得した事など何もない。
ベートーベンが行き着いたその音楽は、あたかもベートーベンの独り言。
第九の素晴らしさは言うまでも無いけど、このop.131は素晴らしいと軽々しく言えないものだった。後期のカルテットは2曲ほど演奏した経験があるけど、今から思えばただ楽譜をなぞってご満悦だっただけなんだなと思う。
死を間近にした人間の創造性と喜怒哀楽を取り巻く全ての感情が恐ろしいまでに僕の胸に突きつけられ、何度僕は酷く沈み、涙ぐんだ事だろう。

バッハの平均率の4番のフーガを初めて聴いたときもそれに近いものがあったけど、それは多分造形美とポリフォニックの神髄に酔いしれたのであったんだと思う。でもこのop.131は譜面上の単純さからは想像を絶する響きとベートーベンの慟哭、しかもそれは孤独の中の咆哮でもあり、いつか死ぬだろう僕の最後の瞬間の心模様を丁寧に音で表してくれたのではないかとさえ思った。


練習は4日間あったけど、最後のリハーサルの日に指揮の宮本さんがベートーベンを始める前にメンバーに「一言みんなに言わせて欲しい」とop.131と彼自身の事を10分ほど語った。
僕はそれを聞きながら半分泣いていた。必死にこらえていたというのが正しいかもしれない。それを聞きながら、宮本さんの音楽、音楽に対する姿勢、そして生き方等々を継承して、多くの後輩達に伝えなければいけないという使命があると思った。
それはひょっとしたらop.131が宮本さんの何かに火をつけ、そして宮本さんを語らせ、そしてそれに僕は叩きのめされた。
彼が言った事はここには書けないけど、友人の言葉を借りれば慟哭の贖罪というべき魂の叫びであった。


今日からモーツァルトのレクイエムの練習が始まったけど、僕の区分ではこうだ。
モーツァルトは「神」が降りた人、ベートーベンは自分自身の昇華によって「神」になった人。
僕は無宗教で宗教の知識がまるで無い故簡単に「神」という言葉を使っている事はお許し頂きたい。

だから僕はモーツァルトのレクイエムに悲壮感を感じられないのかもしれない。
むしろ30数年の出張を終えて神に戻るモーツアルトが一応儀式としてレクイエムと言われる物を書いたとしかあの曲からは思えない。

これはまた叩かれるな。

という意見も中にはある、という事で許して頂けたらと思う。