中国 上海編

昼過ぎの飛行機で北京を離れ上海へ。上海の空港からバスで1時間半ほどでホテルへ。バスのガイドさんがまた日本語の上手な中国の方。
「上海は交通渋滞は日常茶飯事ですよ。高速道路の混み具合を表す電光掲示板があります。それは東京にもありますね、渋滞が赤、混雑が黄色、空いている時は緑、これを見ればどれだけ混んでいるかがわかります。空いている時は『チンゲンサイ』と我々は呼んでます。混雑や渋滞の時は『卵とトマトの炒め物』と呼びます・・・・」等々、よくもまあ1時間半も外国語で流暢に話すよな。凄いの一言です。

上海でのホテルは外資系のラディソン・ブルーホテル上海ニューワールドというとても綺麗なホテルでした。これは人によって全く好みが違うんでしょうけど、僕は老舗ホテルよりも、新しいホテルが基本的に好きです。もちろん老舗ホテルはそれなりの素晴らしいサービスがあるし、何かあったときには信頼がおけるんだとは思いますが、何日も滞在するとなると清潔が1番の条件となります。それは部屋が少し狭くても清潔なホテルが好きです。
とても清潔なホテルで、僕は満足でした。これは言い訳かもしれませんが、清潔なホテルだと練習もはかどるんですよね。
上海では本番と食事以外はずっとホテルにこもって練習をしておりました。
何せ帰国した直後に悲劇的なコンサートが待っておりましたので。
隣のコントラバスの大先輩の富沢さんには大変迷惑をおかけしたと思います。
お会いするたびに「申し訳ありません」と謝っておりましたが。本当にいい方で、上手くなってくれ、じゃんじゃん練習してくれ、全然迷惑じゃないからと毎回言って頂きました。

なので上海で何処かに行ったという事はありませんでした。
でも街の中の人々の感じは北京とは全く違うものがありました。
それは昔からの上海という一種独特のいろんな国が交わった場所であると言う事も理由の1つだと思いますが、なにか人々が忙しく動いている、そんな印象をもちました。とにかく大きな街でした。高層ビルも本当に多く(ここまで発展した街なんだ)と思っていました。
車のクラクションが兎に角うるさい。
僕は24階だったのですが、窓を閉めていても聴こえてくる。窓を開けるとずっとクラクションが鳴っている。それも絶え間なく。
日本でもクラクションがうるさいと思う事もありますが、可愛いものです。

上海でも忘れられない事があります。以前僕が働いていたオーケストラのコンサートマスターだったパン・インリンさんと再会して、食事をしました。まだ僕が若く青い頃によく面倒を見て頂いた方です。
今は上海のオーケストラでコンサートマスターをなさっています。パンさんは読響、都響などでコンサートマスターをされていましたから、サイトウキネンで都響、読響の方々と共に昔話に花が咲きましたし、上海のオーケストラの事も興味深く話を聞かせて頂きました。いやぁ、お会いできるとは思いませんでした。嬉しかったなぁ。
彼は
「僕がまだ音楽をやっていたから皆さんとこうやって再会出来た。音楽に感謝しています」とおっしゃっていました。

最後の2日間の天候は凄かった。東京でも「ゲリラ豪雨」というのが普通になって来ましたが、それこそ『The ゲリラ豪雨』という雨を体験しました。
そしてその前後の湿気具合というのが今まで感じた事のないもう耐えられない空気でした。あれは言葉で説明するのは至難の技です。
湿度100%というのは多分ああいう感じなんだと思われます。
従って楽器はもう悲惨でした。
ホテルから劇場は歩いて10分程でしたが、劇場に着いて楽器を出すと水滴がしたたりおちるんじゃないかという程の湿り気具合。ちょっと怖かったですね。

そんな中、上海で2回、北京で2回、コンサートをさせて頂きました。
多くのお客さんにもご来場頂き、ただただ感謝です。

このツアーから帰国してみると3キロちょっと痩せていました。
結構食べていたんですけどね。

中国に対して多くの誤解を持っていた事が晴れましたし、また新たな発見をする事も沢山ありました。でもたった12日の旅ですから、極々一部でしかないでしょう。
やはりその場所に行かないとわからない事は一杯あります。
それは知識としてではなく、肌の感覚として知る事が重要なんだと思います。
日本がある時期まで目指した中国ですから、その頃の中国の歴史の本を探したいと思います。