癒しの曲

「癒し」という言葉を世に送り出したのは上田紀行さんと言われているけど、その上田紀行さんの著書、「慈悲の怒り」(震災後を生きる心のマネジメント)を読む。
この本の事はいつかまた書きたいと思っているけど、その心のマネジメント。

若いバイオリンの友人が、震災後何を聴いても何を見ても無感動で心にぽっかり穴があいてしまっていた時にがシューベルトを聴いたら涙が止まらなかったと言っていた。

多分、僕もシューベルトを聴いていたらひょっとしてそうなったかもしれません。凄くそれは思う。でも僕の場合、モーツァルトでした。
震災後、マーラーの6番「悲劇的」だったり、シューマンのシンフォニーの4番や1番、ヒンデミットの「画家マチス」等々を弾いてきたけど、僕も心が何か動かされる事はまるでなかった。ある意味放心状態だったんだと思うし、音楽があの当時の僕を癒す事はないと思っていた。

そこに登場したのがモーツァルト
森の中が演奏会の環境だった事もあるけど、実際その森や木からその音楽は流れて来ているようだった。自分も演奏しているというのにまるで他人事の様に外から流れて来た。大変癒される事になった。癒される事もそうだけど、僕も涙が止まらなかった。

実際は自然の猛威に翻弄された日本に落胆と悲しみに打ちひしがれていた中、結局は自然の音と思われるモーツァルトの初期の作品に助けられた。
自然に抗う事なく、共存していかないと本当の意味での人間としての幸せは得られないのかと思った。

あの震災以来、震災以前の日本とはまるで違う国になった様な気もしますが、ある著述家は「震災以前も以後も僕の中では何も変わらない」とおっしゃる方もいましたし、それはいろいろだと思う。

音楽が好きで良く聴いてらっしゃる方々も癒された曲は本当に千差万別で、いろんな場所でいろんな事を想い、いろんな曲に涙を流された事だと思う。

福島の県庁にいるお弟子さんに「いつでも弾きに行くから」とは言ってはいるけど、彼らの中ではまだまだそれどころではないようだ。身の回りの恐ろしい程のシーベルト数を普通に教えてくれたけど、彼らはまだ最前線であらゆる事と戦っている最中みたいだ。

被災した人を助ける事も出来ない。ずっと勇気を与える事すらできない。
でも僕は楽器を弾いて、少しの時間被災した方々に寄り添う事は出来るかもしれない。僕にある日突然モーツァルトが寄り添ってくれた様な事を僕はこれからしたい。