大野和士さん

京都市交響楽団でのマーラーの3番。
言葉が見つかりませんが、この上ない極上の幸せを頂きました。
4日間のリハーサルで、毎日オーケストラがどんどん変わって行く。
そしてゲネプロ、本番とまさに天国への階段を登るがごとしでした。

それを導いたのが大野和士さん。
決して大きくない優しい声で一言一言を紡いで行き、魔法の様な指揮棒でそれを音に変えて行く。

大野さんは前に勤めていたオーケストラでは何度かご一緒させて頂きましたし、フィンランドでマダム・バタフライを振った大野さんはもう20年ぐらい前ですが良く覚えてます。個人的には相当ご無沙汰しておりまして、もちろん世界での活躍は知っていますし、演奏も聴いていましたから今回の期待は相当なものでした。

期待をすると心のどこかで期待し過ぎていて、意外に「それほどでもなかった」という事が音楽に限らずいろんな時に思うのですが、今回の大野さん、期待とかそんな次元ではありませんでした。吸い寄せられ、そして彼に連れて行かれ、今まで見た事のない風景をぼんやり見せて頂けた、そんな感じでした。
多分、大野さんにははっきり見える風景なんでしょうけど、僕にはまだぼんやり。
でもその風景があると言う事を彼に教えられ、僕はそれがはっきりと見える様になる為にまた頑張らなきゃと心に誓いました。

僕は無宗教の人間ですが、仮に大野さんが「あの風景見たいか?だったら信者になりなさい」と言えば、即信者になります。

素晴らしかったとか言う言葉はあまりに安っぽい。
なにか良い言葉をと思いましたが、結局見つかりませんでした。

6楽章のクライマックス、大野さんの言葉をお借りすれば、

天国の門がついに開いた」
という感覚を初めて経験させて頂きました。
それは大野さんの凄さももちろんですが、京都市交響楽団の質の高さがあったからこそだと思っています。
まだ余韻に浸れてますから。

だから
友人を含め、全ての方に自慢したい。

「俺さぁ、ぼんやりだけど、見ちゃったんだよ」と。