イタリア

つい最近、元お弟子さんのイタリア語の大先生に、イタリア語についての相談のメールを送った。
さすが僕の専属のイタリア語の先生、速攻返事が返って来た。
それも僕に超わかりやすい解説付きで。
助かるなぁホントに。
それにイタリア語の響きは好きだな。
独特の丸みを帯びた輪郭とアッチェランドとリタルダンドが混ざった単語の中でのテンポが変わる感じがホントに心地いい。

そんな僕の愛する言葉を話す国、イタリアが脱原発へ舵を切った。
もちろん今回の福島第一原発の事故の影響は大きいんだろうな。
そういうヨーロッパの反応に対して自民党石原幹事長は「ヒステリー」だと言っていた。公の立場の、ましてや公党の幹事長なる立場の人が公の場で言う言葉ではないと思う。例えそう思ったとしても。彼がその言葉をついつい言ってしまった事が僕には「ヒステリー」に思える。
それにチェルノブイリの事故後、イタリアは原発を全て停止していたという「ヒストリー」がある事をお忘れなく。あのチェルノブイリ以後もコツコツと原発を計画、そして建設してきた日本とは大きく違う国ですし、国民投票という事に他の国の公党の幹事長がとやかく言う事ではないと思いますよ。
与党も野党も、他国の事にヒステリックにコメントする暇はないはずだ。
福島はもちろん、宮城、岩手、茨城、千葉、と一刻も早くやらなきゃいけない事は山ほどあるんだし。

バブル時代を経験した僕の世代はイタリア料理の事を当時「イタメシ」と言っていた。生徒さんに「イタメシ」という単語を使うと、「それはどんな料理なんですか?」と言われる時代になってしまった。
ペペロンチーノもティラミスも、僕が最初に食べたのはイタリアだった。日本にはまだ無かったか、あっても超高級店にしか無かったんだと思われる。
ティラミスという名前もイタリアで初めて聞いたぐらいですからね。

最近、ついにお蕎麦屋さんの数をイタリアンのお店が超えたと聞いてびっくりした。
僕が最初にイタリアに行った頃から数えて20数年。
もの凄く世の中は変わった。
まずはCDの出現で度肝を抜かれ、留守番電話を持っていた人が尊敬されていたのもつかの間、コードレス電話に喜び、携帯電話を高級時計を買うように手にし、その携帯電話に入力出来る人の名前が漢字で入力出来ると自慢され、メールが出来る様になり、パソコンは1人1台、テレビの録画が出来ない僕がツィッターだ、フェイスブックだと言っている。

なのに、原発事故をすぐ収束出来る技術は向上しなかったどころか、方法すらなく、20数年前から全く進歩はなかったという事ですな。
原発の安全性は確かに高くなっているのは本当だと思う。
だけど事故が起こったら瞬間的に収束出来る技術がないのならこれから作る事は厳しいだろうな。

僕が原発の是非を言ったり書いたりする立場にはないけど、あの福島の農業、酪農の人達、そしてそこに住んで翻弄される人達や子供達、そして動物をみると、本当に苦しく、悲しい。
人が全くいない街に咲く満開の桜の写真を見た。
衝撃的で未だに頭から離れない。

イタリアを真似る必要は全くないけど、日本として何故すぐに未来への指針を発表出来ないのかが本当に不思議。
その図面を書く事が政治の仕事だと思うけど。
でもそういう政治家を選んだ僕らが悪い。

もちろん僕の仕事は音楽だけど、日本人の誇りとして、国への知識や国に対しての責任はちゃんと持ちたいと思っている。