指揮者生活の終焉

野球の監督と指揮者は1度やったら辞められないという。
一昨日、演奏会で初めて指揮をした。
そしてもう一度、場所、曲目は違うけど、明日もう1回演奏会がある。
別に辞められない事はないぞ。


観客として、オーケストラのプレイヤーとして四半世紀指揮者を見て来ました。
どんな指揮者が素晴らしいのかという尺度や条件は当然僕の中にもあります。
それはオーケストラのメンバー各々違うでしょうし、お客さんもその基準や求めるものは違うんだと思いますが、僕の中での基準が意外にも厳しいらしく、またその想いが強過ぎて、それを自分が出来ていない事にどうしても許せないし、でもやっているのは自分だし、の堂々巡り。



経験してわかった事が沢山ある。
手ぶらでステージに上がる事が初めてだった事もあり、普通に歩けなかった事。これは自分で歩きながら赤面してしまった。
普段、チェロという衣装を纏って人前に出ていたんだという事を痛感しましたね。
つまり、楽器が無いと全裸で出て行くに等しい。いや、全裸の方がまだいいかも。


自分の考えている音楽をオーケストラの方々の協力を得て、具現化出来る事は幸せですね。これは確かに幸せだと思う。
でも。
でも。
でもです。
明日の公演の曲の中に明日初演の現代曲があるのですが、僕には鳴っている音が全て聴きとれない。14段のスコアだって一目ですべてを見る事が出来ない。
普段からやってないから出来ない事は当たり前としてもです。というか、世の中の指揮者は全部聴こえてんのか?これは調べてみないといかんな。
と疑いたくなるぐらい全てを聴き取る事は困難ですな。

必死にスコアを読み込んで、ざっとチェロでいろんなパートを弾いてみたりもしたけど、一度に全てを聴き取る事は出来ない。でもこのフレーズはどんな風に表現すればいいのかと言う事は、楽器を弾く事が絶対に必要。なぜなら、弾く時というのは、その音に対する温度という物があるから、その温度がわからないと表現なんかは口で言えません。頭の中では机上の空論以下だと思った。

管楽器と弦楽器の呼吸の速度の違いや音の持つスピード感の微妙な違いなどは勉強になったな。


当然、明日の引退公演は相当マジな指揮者でいきますが、やっぱり僕はチェロの方が向いている。
でもこんな機会を与えてくれたノイエ・ムジカ東京のみなさん、及び関係者の方々に感謝したいと思います。