宮崎 3

僕の「音楽祭」の原体験は、中学生の時に親に連れられて行った「木曽福島音楽祭」です。ポール・トゥルトゥーリエさんのリサイタルでした。ピエール・フルニエさんが来た時も行きました。
あの世界の巨匠達が体育館で弾くというすごい風景と、それを楽しみにしていたお客さん達の熱気はいまだに忘れる事ができません。
トゥルトゥーリエさんの時はものすごい嵐のような大雨で、体育館に叩き付けられる雨の音にかき消されそうな中、ものすごく多くのアンコールを弾いてくださいました。


その後10年以上たってそのトゥルトゥーリエさんのレッスンを受けられたり、木曽福島音楽祭にずっと参加させて頂けることになろうとは全く想像すらしていませんでした。


チェロで大学にようやくなんとか入学できて、学生の枠として木曽福島音楽祭に参加できた時はうれしかった。
その後、北九州音楽祭、オホーツク紋別音楽祭、木曽福島音楽祭、そして宮崎国際音楽祭、サイトウキネンミュージックフェスティバル等々に呼んでいただき喜んで参加させて頂いておりますが、その体育館で弾く僕の原風景はいまだに何ら変わりませんし、常にその土地にとって大切なイベントである音楽祭に参加できる喜びと、その時にしかお会いできないその土地の方々との交流は僕の宝物になっています。
今、チロット音楽祭を作る立場になってものすごい大変なことであることもわかりましたし、今後四国で音楽祭を作る予定ではありますが、その地方独特の素晴らしいものを絡めた地方色豊かな物を目指したいと日々頭を絞っております。


体育館で弾くから良いのではもちろんありませんが、どこでも音楽は奏でられる、この音楽家としての純粋な気持ちをなくさないよう、そしていつまでも音楽祭に参加するだけの、音楽祭を作るだけのレベルの音楽家でありたいし、そのレベルの人間でありたいと思います。それには今後さらに厳しい練習をしないとレベルは落ちる一方ですから、この宮崎で受けた刺激を持続させ、一層の努力をしたいと決意したオフの一日でした。